上野から高崎線で夜着いた終点「籠原駅」1歳の娘を抱いて3人。
その駅前の宿で一晩過ごして、朝窓のカーテンを開けたら あらまあ!窓は全開でした!!
1月の熊谷、数年間暮らした冬の厳しい、からっ風の熊谷でしたが、その窓全開の宿で寒さを全く感じなかったのは、暖冬だったのか?
若さゆえか?今となっては 笑い話です。私22歳でした。
のどかな 田園地帯でした。
連れ合いが決めていた借家は、少々古く 床がきしみ、ぼっとんトイレは床が落ちないか?と 怖かった記憶があります。
その熊谷で、2年後 息子が生まれました。
連れ合いは 仕事の都合で 帰宅が深夜。
一人で二人のこどもを お風呂に入れるので、てんてこ舞いの日々!!
冬のからっ風と、夏の暑さは厳しく、でも 当時エアコンはなく、まして前の道が舗装されていなくて、抜け道的に車が 結構走るのです。
ホームこたつのテーブルが、 土ほこりで茶色になって、拭いても拭いても きりがなかったですね。
でも、今では 考えられない生活だったと 思い出すのは、夏の夜平屋の借家の 縁側側の掃き出し窓を網戸で 寝ていたのです!!
今じゃ 怖くて とても出来ないことですよね。
同じ借家の 転勤族のお隣さんが、夜「あまりに暑いから、車にエアコンがあるので ドライブにいってくるわね。」と。
我が愛車には エアコンをつけてなく、それもままならず!
無駄と思いながら、夜中 道路にホースで水をまいたことも ありましたっけ!
半世紀近い前の 地方の勤め人の生活は 私の知る範囲では そんなものだったのではないかと 勝手に思っています。
今も 熊谷なまりが残っているように思うのですが、溶け込もうと努めた
結果なので、悪くはなく、いまや結局 ちゃんぽん(関西弁のべらんめえ口調?!)で 笑い飛ばしています。