6月に私の息子が99歳の父を訪ねて、施設の方にお願いして撮ってもらったのでしょう、二人並んで立つ写真。
息子から私にメールでその写真は送られてきました。99歳の父はガラケーを使っていますので、メールで写真を送るのは無理です。
そこで、現像した紙の写真をダイソーで買ったphotoフレームに入れて、郵便で送ったのです。
「届いたで。せやけど、誰れの顔やろと思うてな。わしの顔に似てるけど。」と父が電話で言うではないですか?!
頭はハッキリしていたと思っていたのに。足は弱っていたけれど、頭にも老化の波が忍び寄ってきたのかと一瞬ドキッと❣
話していくうちに、わかったことがありました。最近10数年、写真を撮ることなど皆無だった齢99歳の父だったのだと改めて、思ったことでした。
写真を撮る、私自身も振り返るとこのところ旅に出かけることもなく、写真など撮っていませんから。
写真は一瞬を切り取りますので、「自分の顔って、こんなだったっけ?老けたわねえ。」と以前思ったことを思い出しました。鏡で見るときは、とっておきの良い顔を(私程度の顔であっても)作って見ているのだと苦笑いさせられたものです。
父は何十年ぶりに見る写真のなかの自分の顔の認識に戸惑ったのだと、わかったのです。
一枚の写真で気づかされたのです。老いていくことの非日常の一つが写真を撮るということだと。
父は「こんな服を着てたんやな。」と写真に写る自分の姿に見入ったようでして。
小さな写真がひき起こした多くの驚きは、予想を超えていて。。
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