連れ合いの男兄弟3人は3人とも元気でした。戦死されたお義父さんの代わりを長兄が担って、すぐ上の義兄は奨学金で唯一大学に進み、それぞれにひたすら働いた世代です。
長兄はもう90歳近くになって、先日大好きな車をとうとう手放したと電話で話されたそうです。
お義母さんは収入を得るために、自宅で出来る仕事をしながら息子3人を育てた方でした。いつ眠っていらしたのか、薪で沸かしたお風呂は終い風呂に入り、早朝からは「かまど」でご飯を炊いてお弁当を作ってらしたと。
「お義母さん、お弁当のご飯の上に海苔で飾りをつけたりされていたと、連れ合いから聞いた私は頭を垂れるしかなかったですよ。私は病気がちで朝が弱くて。とてもとても足元にも及びませんでしたので。」とお義母さんの写真を見ては、手を合わせています。
そうして育てられた息子たちも、後期高齢者になって。飛び切りスポーツ万能だった(と連れ合いは幼いころに思っていたそうです)真ん中のお兄さんがガンの転移で、通いでナースに来てもらって点滴をされているそうで、医療施設に入ることにしたのでとお義姉さんからの電話。
脳梗塞も発症されて失語症もあるのです。施設に入られると、ますます言葉が、とすぐ思いまして胸がつまりました。
「老いは病気と道連れ」にならざるを得ないのでしょうか。
連れ合いは抗がん剤を服用しながらも、ご飯を食べるのの速いこと!「子供のころにお弁当を食べ終わった順番で野球の打順が一番になるから、早飯になったんや。」と現役時代も速いまま。(仕事ができる男は飯を食うのが速いんだと、耳にしたことがあった時代でもありました。その頃の人たちはガムシャラに働いて、働いて高度成長期を支えたのだと振り返ります。)
私は女性の中でも遅いペースは変わらず。連れ合いの食べ方を見ると喉につまりそうになるので、見ないようにしています。そんなふうに生きていけていることは有難いことだと思う日々です。
「ろうそくの灯」が消えるようにいずれ来るその日が、それぞれに安らかでありますように。
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