半世紀以上前の高校生のころ、プラトニックな恋愛話でキャッキャッと盛り上がっていたのを覚えているのですけれど、過ぎてみれば、かっての女子高校生たちも母となり祖母と呼ばれる年齢に。
人間という種の保存は生物に与えられし宿命という流れのなかで。
他の生物との違いは「貨幣」を持ったことでしょうか。食べ物を隠す生物はひたすら生命を維持するため。
70歳を過ぎた私が100歳に近い親と話して、40歳代後半の子たちとも話しながら思うのです。
子としての私と、親としての私(あくまでも生物として)はどちらも省みて後悔はもちろんあります。
最近はまっている英国の刑事ドラマでも、家庭の問題、男女の心のすれ違いから哀しいことが起こるのですから。シェークスピアの国だから、というわけではないのでしょう。
「人間は親子だから理解しあえる」となるほど単純ではないんですね。
親子ゆえに反目することもあり、年齢を重ねて親の心情をおもんばかれる時もあったりしても、やはり個々に違うのです。
親ありて個としてこの世に生まれ、個として土に帰っていく定め。
最近私の胸を去来していることなのです。
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