お義姉さんからの電話であたふたと電車を乗り継いで行ったのが8月23日の金曜日。
お義姉さんの話だと29日の午前1時に娘さんに看取られて亡くなったとのことでした。
お義姉さんは日中はずっと付き添っていらしたようでしたが、宿泊は出来ないので娘さんと交代されたのでしょう。
既に家族だけで葬儀を済ませたとのこと。共同墓地を都内に購入してはいるのだけれど、今それをどうしようかと家族で思案中だとも話されたと連れ合いから聞きました。
お義兄さん、全身「満身創痍」でいらしたんだと今になってお聞きしました。
23日の日、弟の顔と声と握った手の感覚は少しでもわかったのでしょうか。お義兄さん。
お義兄さんは「年男」だったんですよね。もう痛い思いをしなくてもすみますね。
お疲れ様でした。お義兄さん、お母さんとお父さんに逢えましたか。安らかにお休みになって、残されておられるお子さんたちや奥さまを見守ってさしあげてくださいませ。
暑くて、つらい別れの8月が終わってしまいました。
末っ子の我が連れ合いのことをいつでも心配してくださっていたと、再度お義姉さんから連れ合いは聞いたようでして。私は折に触れお義兄さんの優しさを感じていました。まるで父親のような愛情でした。
心に大きな穴が開いたでしょう連れ合いが、関西に住む長兄に電話をかけながら泣いていました。
私はかける言葉もなく、離れていました。
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