「島国根性」というと響きがあまりよくないかもですけれど。
私は関西の高くはない山に囲まれた内陸部に生まれましたので、海は遠くて。子どもだったのと、我が家には車がなかったので、遠出をするということがなかったからでしょうね。
小さな町のなかで暮らしていると、それが「全世界」なのでした。と、今は思い返すのですけれど。平穏に時が流れていたようにも思います。
時代が違うのは大きいでしょうね。
携帯電話もインターネットもなく、小さくても家があって、食べることが出来て、ひもじい思いはすることなく、高校まで通えて。歩いていける職場と。
毎日が淡々と過ぎていっていたものでした。
高齢者と言われる年齢になって、大好きな歌を通して知るようになったのですが。日本も世界も大きなうねりの中にあったのだと。
中学校の修学旅行で東京タワーや、羽田空港、夜のネオン輝く銀座を観光バスで走りすぎたとて、わかることなど当然なかった東京と地方の大きな違い。
最近でさえ地方の女子高校生は大学進学の際に不利なのだとの報道がされているのです。
親の立場になると、下宿させて大学進学というのは経済的負担が大きいのはよくわかりますから。
「木綿のハンカチーフ」の歌詞にあるように、都会はまばゆい世界なのです。この歌のなかでは男女の立場が逆ですけれど。
東京という都会に近い所でたまたま暮らすようになった私の目には、表のまばゆさと裏の暗さが歳を重ねるにつれて見えてきましたし、田舎の一種閉ざされたような部分も思い返されて。ですが、、
こんな小さな島国のなかでの違いなどとは比べ物にならない、世界の動乱、地球儀の地図が目まぐるしく変わっていく様を見るにつけ、平穏であることの有難さが身に沁みるようになっている私です。
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