日本家屋にあった「縁側」は「サンルーム」の温かさでご近所さんとの「お茶とおしゃべりの場」でした。
今私が暮らすコンクリートの建物にはないものです。
重いドアにロックをかけて、インターホンで用件を聞くことに慣れてしまっています。
人との触れあいが希薄になっていることに疑問も持たず、時間が流れてきてしまいました。
「イタリアの小さな村」の映像には家族が協力しながら地域の人々ともつながった平穏な日々の朝日と夕焼けが美しく、心に沁みてきます。
イタリアも大都市では暮らしぶりは違うのは当然です。「町に出てはみたけれど、疲れ果てて村に帰ってきたんだ。」と語る若者がいるのですから。
帰る場所があるのは幸せなことだと思うのです。
ほっこりする「縁側」のぬくもり。
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