2日前の午後「沸かしたお湯が半分に減ってる。おかしい!」と台所で連れ合いが怒っていました。
電気ポットで沸かすので沸騰すれば電源が自動で消えます。
私が「私はそんなことないわよ。」と言うと「お前のことはいいんだ!」と怒るのです。
やっぱり認知症の始まり❓と、私は言葉に詰まっていました。
でも考えてみたら、お湯が半分になるはずはないのだと思った時に『人間の怒りってこうして起きるのか!」とハッとしたのです。
連れ合いは若いころから近視です。ゆえに80歳でも老眼鏡無しで本や新聞を読んでいます。私は連れ合いの視力が落ちているのではと思い、眼科に行くよう何度か勧めましたが頑固に行きません。
実は白いカップに入れた水の量が見えていなかったのではと。白いカップに透明の水が見えにくいのので、連れ合いはカップに飲みたい量を入れたつもり。やかんなら沸騰してなくなることもありますが。
人間の怒りの本質って、こんな初歩的なところから出てくるのかもしれないと。見ているようで見えていないで、出てきた結果だけで判断する。そこには自分は間違っていないとの確信だけがあるのです。怒りはポットに、反論した私に向かう。
冷静に分析して起こる怒りは静かな怒りです。勘違いから生じたような怒りも世の中には増えていますよね。「あおり運転」も被害にあう人は理由もわからず、恐怖におののくことに。
今の時代は訳の分からない「怒り」に汚染されているようにも感じています。
連れ合いのケースは認知症のせいかもですが、まず視力検査。
これがまた大変な労力がかかるのです。「目が不自由になったらあなたが困るでしょ。私も大変だけど。」とハッキリ言ってきたのにね。
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