E テレで2週に渡って放送された「海洋冒険家」白石康次郎氏のお話を録画していまして。
今朝、その録画の後編に見入ってしまいました。
1982年に世界一周ヨットレースで優勝された多田雄幸氏のニュースを見て、海の向こうに行ってみたいと思い続けていた白石康次郎さんが魅かれて、決意されたと始まり。
その一瞬から彼の運命が世界の海へとつながっていった経緯に引き込まれましたね。
それにしても、彼が感動し師匠と仰いだ多田雄幸氏の生き方もまた凄すぎて、思わず笑ってしまったのです。
高校生だった彼が多田雄幸氏の弟子になりたいと、東京駅の電話ボックスで当時あった東京都の分厚い電話帳で多田氏の電話番号を調べて電話したという話に「そうねえ、電話帳ってあったよねえ。」と思い出しながら。
電話で「おめえさんがそういうなら、きなさい。」と言ってくれた多田雄幸氏に逢った最初の言葉が「康ちゃん、よくきたな。おはようビール。」だったそうです。不思議な人です。
「新宿ゴールデン街にいる時間の方が長かった」と酒好きだった多田雄幸氏の想い出話。
ヨットのことは何も教えてはくれなかった多田氏は「好きなようにやりなさい。」とだけ言って、「お酒のほうがいいけん。」とお酒を飲んでいらしたそうですが。
いざ突風に吹かれて、白石康次郎氏が舵取りを誤ってヨットが沈みそうになったときに、ササっと走ってきて舵を仕切りなおした多田氏の話のくだりには「う~ん、仙人だわ!」と思った私でした。舵を取り直して、また何もなかったようにお酒を飲んでいらしたそうですから。
波が荒くて揺れに揺れているときに、彼がハッチを開けて師匠のことを見たら餃子の皮を麺棒で伸ばしていらして「何か?」と振り向かれたそうです。荒波に揺れるヨットの中で泰然と餃子の皮と対峙するなんて、「この人は格が違う!」と思ったと白石氏。
そう鬱気味だったという多田雄幸氏の最後の話。
多田雄幸氏の後を継いで、挑み続けた白石康次郎氏の言葉「目は外を向いているから、自分のことは見えない。海で何百日も一人でいると、自分に自問自答する。自分に向き合う。本当の自分が見えてくる。」
彼がひとりで挑んだヨットの事故で2度失敗したときに、世話になっていた造船所の親方が「康ちゃんは船の尻をたたきながら走っているようだね。船は女性だからやさしくしなさい。」とおっしゃった言葉もまた、心に沁みる「海の男」の言葉ですね。
白石康次郎氏の話に出てくる人たちは、「ああしなさい。こうしなさい。」とは言わないで黙々と自分のしたいことをしておられるんですね。
ひたすら好きなことに命がけで打ち込んできた白石康次郎氏もまた「こどもたちには好きなようにさせてあげてください。」と笑顔なんだわと、納得したのです。
それにしても師匠の多田雄幸氏をも苦しめた「南極海の吠える40度線」で転覆した際の、2分後に奇跡的に船が起き上がったという3度目の世界一周成功の話には、「奇跡は起こるんだ」と。
普段「奇跡」なんて言葉とは無縁の日々を暮らしている私ですから、感動したのです。
でも、こうして生きていること、それ自体が「奇跡」と言えるのかもしれません。ひとり、ひとりの「奇跡」
================
にほんブログ村「団塊の世代」カテゴリーのランキング
その他2つのブログランキングに参加中です。
いつも応援クリック有難うございます♪
