私は関西の片田舎に生まれて、21年をすごしただけで関東の地に。
埼玉県や都内、千葉県と縁もゆかりもないところで子育てをして、働いて、気がついたら前期高齢者と呼ばれる年齢です。
一昨日、お盆休みの混雑を避けて日帰りで、故郷の関西で入院している100歳の父に逢うために電車に飛び乗りました。
浅草でも見るインバウンドの多さは、新幹線ホームや車内でも目を見張りましたね。日本人より多いのでは❓と。。
故郷へのローカル線の変貌ぶりに、一抹の淋しさを覚えつつ、流れる汗をタオルで拭きながら、それでも「一期一会」の出逢いにたくさんの思いが沸き起こった特急旅でした。
エレベーターに乗って発車する電車のホームへ(同郷の連れ合いは半世紀前には不便な駅だったと話していたのですが)、エレベーターのドアが開いた出会いがしらに私より年上のおばちゃんが「ああ、その柄も見たで。百均で200円やったよね。」と私が持っていた柄違いの保冷バッグを指さして、ね。
私も関西人です。すぐ「そうそう、せやけどそっちの柄の方がオシャレやね。」と、そのおばちゃんに返したのです。言葉のキャッチボール。
お互いに手を振り合って、エレベーターは降りていきまして。これぞ!関西のおばちゃんの、関西人のノリの良さやわと、嬉しくて(^.^)
関東で、通りすがりの人に声をかける人にはまずお会いしたことはなかったなぁ、と。
1両だけの電車の中ではブロンドヘアの女性お二人と近くに立っていたのですが、英語ではない言葉で話されていまして。「どちらのお国です❓」とお声をかけたきっかけで話し始めたら、「ブラジル。」と答えてくだすった女性はおそらく伴侶が日本人のようでした。サンバやボサノバ、カラオケなどと話がはずみまして、笑顔が素敵な女性でした。
走る一両電車の外は緑があふれていて~ブラジル人女性も「緑がいっぱいねぇ!」と。
私が暮らす関東平野とは違う景色に、故郷はこんなにも濃い緑のこんもりした山々に囲まれたところだったのだと。。
帰路のローカル電車では、部活の試合帰りと思しき高校の名前が大きく入ったジャージー姿の若者たちであふれていて、若いエネルギーが満ち満ちていました。
孫のいない私には、可愛くて、笑顔で話している彼らからは何の憂いも感じない心地よい空間でした。彼らの未来に幸あれと思わずにはいられない貴重な時間💓
「何のスポーツなの❓」と尋ねたら「バレーです。」と。その一言で心がほぐれたかのように、電車を降りてからも彼らにホームを教えてもらったりして「ありがとう!」と別れたのです。
「こっちの生まれやけどね。関東に住んで50年やから、電車もわからないんよ。」と言う私の言葉に「わあ、東京やて。」と無邪気に笑う彼ら。私も関西弁の高校生やったんやねえ、遠い昔。
帰りの新幹線の窓の外が、薄墨色から灯がちらちらする漆黒に。
ふいにフォークグループ「マイ・ペース」の歌った「東京」の歌詞が浮かんできたのです。1974年リリース 作詞:森田貢氏(リードボーカル)
♪ 東京へはもう何度も行きましたね ♪
夜の車窓を眺めながら、暮らしたいと憧れて行った東京ではないのにねぇ。。新幹線は♪東京へ・東京へ ♪とひた走っているのでした。
入院している100歳の父の白い、白い顔を残して。。。
お見合いで結婚が決まった半世紀以上前に「転勤はないんやね。」と若かりし連れ合いに念を押すように聞いたのも父でした。
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