生きていること、当たり前ではない奇跡のようなことなんですね。
この夏の高熱を発しているような気温のなかで、弱っていた100歳の父を見舞い、私の年齢も振り返ると、しみじみと。
今、さぼっていた掃除機をかけまして。
掃除をする、お寺に暮らす修行僧にとって、それは修行の一環だそうです。
人間はいろんな修行を重ねて、生を全うしなさいと定められているのでしょうか。
高齢者の「人生の終い方」は、「花が枯れるように、が一番です」と、どなたかが。。
今夏の日照りは強すぎて、花は可哀そうな枯れ方です。
農家の方が「トウモロコシの畑だったんです。でも、全部枯れてしまった。」と、空っぽの畑の畔を指さして呟いていらしたのでした。
人として咲かせる🌺も、咲かせられるものならば、小さな花であれ人知れず咲いて、枯れて、そうしてつながってきたのでしょうね。