切実に、かつ確実に、足音もなく、、
物騒なことの多い今、現在のミステリーでも、サスペンスドラマでもなくやってくること。
そう、あ・れ・ です。
阪神タイガースの前監督のかっての「ア レ」とは違いますよ(^^;)
冗談言って笑っていられない「葬儀・納骨」
私は「お墓も何もいらないのよ。」と40歳代から思っていて、言葉に出して言ってもいました。実際お墓の用意もしていないのです。
そうして、現在前期高齢者に。
我が連れ合いの4歳上の兄が昨年、前立腺がんから始まった10年間の闘病生活の末に亡くなって、ご家族のみで葬儀は済ましたとの連絡をもらいました。義兄夫婦は葬儀社も、納骨も長い闘病生活の中で、契約をしていたんだと、納骨の後に義姉から聞きました。
義兄夫婦、私たち共に同じ関西出身であることから、親戚などは皆遠くて高齢、なおかつ病気の治療中です。コロナ禍のまだ「延長線上に続く時代背景」もあり、家族葬という選択肢を。。
義兄夫婦も、私たちも転勤という会社の命に従った生き方をして、関東の地にたまたま暮らしてきたわけなのですが。
その子供たちは関東で育って、友人を得て、働く場も関東にあるのです。
親戚や、同郷の人と顔を会わせることなど殆どなかったこの数十年。まして、私の働いたデパートは盆も正月もまとまったお休みはなくて、「法事」のハガキをもらっても夜行バスで行って帰ってくるという慌ただしい生活でした。
お姑さんの葬儀を昨年末に経験した娘との電話の中で、几帳面な娘は~
70歳を超えた私は葬儀の手配を一度もしたことがなく、あくまでも漠然としたまま。長男の嫁として、娘は煩雑な想いをしたようでして「残されたものが大変なのよ。」と、呑気な私に少し苛立っている様子がうかがえて、「葬儀」とはなんぞやと検索してみたのです。
インターネットで、TVのCM で、出てくる多くの情報の虚実の洪水の中から、皆さんはどのように「親切・丁寧で感じの良い・適切な料金体系」の葬儀社選びをされているのやらと。
「死」を考えていると、最近観たドキュメンタリーが浮かびまして。アフリカの干ばつで多くの動物が瀕死の状況にあって、放牧民と緑地の管理に当たる人とが一触即発の状態に。結果、管理する人が何者かに銃で殺されて、その方の息子さんが父の死を調べていくといった~ 干ばつで死に至った動物を上空からドローンで映像として。
「死」は身近にあるものなのに、だからこそ遠ざけていたい心理が働くのでしょうか。
急に伊丹十三監督の「お葬式」という映画を思い出してしまいました。改めて、今調べましたら、もう41年も前の映画なんですね。
哀しくて、妙にユーモラスな描き方には、まだ親戚が集まって行われていた当時の背景と、伊丹十三監督ならではの見事な構成が今もポツポツ思い出されて。自分の葬儀を考える日がくると思って観ていなかった自分の若さがねぇ、なんともね、今となっては苦笑いするしかないですわ。
伊丹十三監督、51歳の時の映画だとか。
一度、一つの葬儀社に電話をしたことはあるのですけどね。足を運ぶことなく、月日は流れて。
この物価高の中で、生きていくことに汲々としている私です。
葬儀の歴史を少しひも解いていけば、死者を悼み、尊厳をもって、などとは心の問題であって、決して「祭壇」などの飾りつけではないと思い至るので(私ごときの名もない人間にとっては、です)
千葉大学医学部では今も「白菊会」と言う名称にて「検体」を募集中とか。ただし、納骨までは致しませんとのこと。2~3年後に返される「お骨」を、さてどうしたものでしょうか。
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