吉岡 斉 先生、内閣府原子力委員会専門委員をされていた九州大学教養学部助教授、比較社会文化研究院教授でもいらした 先生の 原子力発電に関する 政府の姿勢への疑問を綴られた「吉岡文書」の数々が残されているようです。
2024年3月の ETV特集「膨張と忘却~理の人が見た原子力政策~」は録画していましたが、再度見直しました。
福島第一原発が津波によって大変なことになったあの日、身に迫ってくる恐怖を感じたものでした。
吉岡 斉 先生が病に倒れられた後も、被ばくされた方々の心配をされていた『情の人』であったとの言葉には、先生の強い思いが伝わってきました。
チェルノブイリ原発事故のことも忘れることのない惨事でした。
浜岡原発の耐震設計の数値の偽装は、そうした国民の安全な生活を根底から覆しかねない、してはいけない最悪の所業だと言って過言ではないと思っています。
このところの日本各地で起きている地震。震度の数値は高くはないとはいえ、私は「予兆」ではないかしらと不安を感じています。
日本は温泉があってありがたいのですが、地震とも縁は切れない国土の上に暮らしているのだと常々思い起こさせる、テレビに流れる地震のテロップ。
かたやソーラーパネルはエコだと喧伝しながら、山々の樹木を思い切り伐採して作るのでは「なにおか言わんや!」です。
山火事も頻繁な最近、緑豊かな日本の国土はどうなるのかと心配になっています。山の樹木を守る方々が高齢になられ後継者も育たず、なかなか手入れが行き届かないので、尚のこと火事になりやすいのだとの言葉も聞こえてきますゆえ。(火事は人の不注意が多いという点も気がかりではあります。)
人間の都合だけで、自然を壊したら元に戻るのにどれほどの年月がかかることでしょうか。
今、私はエアコンをつけた部屋で、パソコンのキーボードを叩きながら、発電設備のことをあれこれ批判していること自体矛盾しているのも自覚はあります。
私が子どもだった頃のように、薪でお風呂を沸かし、火鉢や石油ストーブで暖をとっていた生活に戻らないと、いけないのでしょうが。
ものごと左様に、進み始めたら後戻りはできないのが人間社会。
失敗することの代償はどんどん大きく膨らんでいくのです。




