100年以上前に女性解放運動の先駆者、作家平塚らいてう(らいちょうと言ってしまっています。私)が雑誌「青鞜」の創刊に寄せた発刊の辞の題名とは調べてしりました。が、「女性は原始太陽であった」のこのところだけはずっと頭にのこっていました。
100年以上たって果たして今、変わったでしょうか?
このコロナ禍では女性も男性も大変な事態になってる方が多いので、特別に女性だけというのははばかられもしますが。
とはいっても、日本は先進国の中で「ジェンダー・ギャップ指数」男女平等度を表すものらしいのですが、昨年121位と過去最低の記録、先進7か国の中で最下位だそうです。
男女共同参画という取り組みは聞いたことはあるのですが、ことさらにいわなければならない状態に日本はあるのですと聞こえてしまうのは私がゆがんでるからでしょうか。
女性の社会への、特に政治分野と経済分野での女性リーダーの少なさは日本の働きかたにあると、立命館大学の筒井 淳也教授の説ですね。そんな数値の日本で日本の男性の幸福度が異様なほど低いのだそうです。日本は「男性的な働きかた」社会進出を果たしているぶん「稼がねばならない」とプレッシャーが大きくのしかかっているのではと分析されています。大変ですね。男性、なんとなくそう思っていましたが。
筒井教授いわく「ガラパゴス的働き方」がいまも主流だと。長時間労働や意に沿わない転勤を産む仕事や勤務地を振り割る「メンバーシップ型雇用」などと、私は聞いたこともない言葉がでてきました。我が連れ合いがかってまさに長時間労働であり、意に沿わない転勤によって関東にきたわけなのですから。それに逆らうことなど思うことなく、それどころか当り前のように受け止めていた40年も前の働き方そのままなんですね。連れ合いが持っている「ガラパゴス携帯」ガラケーのガラパゴスは死語じゃなく、いまも男性主体の社会に生きていたんですね!
「お疲れ様です。」と幸福度も低く、いまは居酒屋で憂さ晴らしをしようにも監視の目も厳しくて逃げ場のない、それでもまだ会社に在籍させてもらえてればいいほうだと、思うしかないほどの現実があります。
そんな日本の社会での女性の立場はいちがいには言えないとしても、やはり弱いとしか私にはおもえないのです。そこへもってきて、離婚がいいのか悪いのか昔より確実に増えています。お子さんがいないのであればまだしも、お子さんを抱えて日本の男性の離婚後の慰謝料の少なさ、以前に支払わない男性が多いように聞きます。離婚が悪いときめつけようとはおもいませんが。よほどの専門職でもない限り、経済的に大変だろうと想像します。そこに、このコロナ禍です。
「原始女性は太陽であった」と100年以上まえの平塚らいてう女史が今の日本に生きていらしたら、にんげんは100年たってもさほど進化しないものなんですかね。たかが100年じゃ無理ですかね。
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