よくも悪くもハッキリしない。ハッキリもの言う人は煙たがれる。
「儲かりまっか。」「へい、ぼちぼちでんな。」「さよか。」これで会話が成り立つ。
「お元気ですか。」「ええ、おかげさまで。」これも普通の会話です。
英語のように、「Yes」「No」が冒頭にこない言語文化の国。
そのことがいいのか、悪いのかは簡単に言えることではありません。
ただ、物事の責任の所在も曖昧模糊としているように感じています。何か不祥事があったら、どうしてかずらりと頭数を並べて「申し訳ありませんでした。」と連帯責任のごとく(実際、連帯責任の場合もあるでしょうが)頭を下げる。すると、シャンシャンと手打ちのようにことが終わると思っている節が垣間見えるのです。
それぞれに長い歴史の過程を経てその国の文化が形つくられていきます。日本人とはどういった民族なのかと、ふと疑問に思うことの多くなった昨今です。
1ヶ月も前でしょうか、ご母堂がひとりで暮らしておられた生まれ育った田舎の地に戻られた方が、何かと「村八分」の扱いを受けているとスマホの報道にありました。その男性は昼間は車でドライブに出かけて村人と顔をあわせないように過ごし、なんとかその地で頑張って暮らしていらっしゃるようでした。それが彼の意地なのか、他に理由があるのかは短い文章からは伺いしれないままでしたが。
まさに「村」意識。驚きましたが、残っているだろうなとの思いもなくはなかったのです。私ならそこまでしんどい思いをしてまで暮らすだろうかとも思いましたけれど。その男性も奥様の住まわれている自宅もあると書いてありましたし。
農耕民族の日本人は「村」が共同体として機能していた名残なのでしょうか。名残などと書くと、今はないのかと問われるのでしょうが、単に私が放浪人のごとき生活をしてきたために、知らないだけのことなのです。
私はたまたま見知らぬ土地を転々として暮らしてきたことが、私の気性にはあっていたのだと今になって思い至ります。
「村」が良いか、悪いか、「村」で生活したことがない私が言えません。また「村」と十把一絡げに言えるものでもないとも思います。
しかし「村」という概念を広げて考えたときに実存する「村」ではなく、日本も大きな「村」なのではないかと。飛躍し過ぎでしょうか。
時代は大きな変化の流れのなかで、人の意識はそう簡単に変われないとは理解しつつも、変わろうとする努力が私には見えないのです。私の色眼鏡でしょうか?
「安心・安全」とお題目を唱えるだけの総理を見るにつけ、変化の兆しのかけらも見つけることができないでいます。
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