職場で先輩でらした女性もご主人ががんで亡くなってもう数年経ちました。時折電話をかけますが、今回も「大丈夫でしたか?」コールをしましたが、「ガラスのコップが割れてその片付けをし終えたところよ。ありがとう。」とのことでした。先日訪ねていった友人はまだ四十九日のさなかで、さぞかし怖かったろうと地震の夜半にメールをしました。翌朝、「地震すごかったね。怖かったわ。心配してくれてありがとう。」とメールが届きました。
地震が起きた時、私の連れ合いはお酒の酔いが回って眠りにしずんでいたようで、「地震よ!」と私が叫んでやっと寝ぼけ眼でモソモソと起きてきて「これはでっかいな。」と言ってしばらくして揺れが収まったら「もう寝る。」とベッドへ。
連れ合いがいるからどうだってことはないなと私は思いましたが、いざ亡くなってまだ四十九日のあいだとなるとどれほど不安感が増幅しただろうと想像ができますので。
地震が起きた時、夫婦でいようと何が出来るかと言って、さて何ができますかねえ。私は東北大震災のあとでタンス類は全て処分して倒れてくるものは無くしてしまいました。タンスの横で布団を敷いて寝ていましたが、下敷きになりたくないとの気持ちが強くなりましたので。
でも、危険はそれだけではありません。予測し得ないことが起こるだろうと。どう対応できるのか自信はありませんし、最終的には「運」かなと考えています。人間は自然の猛威の前には無力なのは事実ですから。
水の蓄えも、保存食も生きていればこそのことです。「運」とは「持ってうまれた寿命」とも言えるのかもしれません。これは誰にもわからないことです。
でも、私は「痛いのは嫌だな。苦しいのもゴメンだわ。」と常々思っているので、その願いは創造主にとどいてほしいものだと勝手なわがままを念じているのですm(__)m
今朝の報道でパキスタンでも大きな地震があったようです。地球がまだ生きている星だからこそ、マグマも噴出しプレートも動くのですが。生きている星だから人間もその恩恵に預かって生命を維持できているという、ジレンマを地面が動く度に実感させられているということになりますかね。
生きていく上でのジレンマの根本はそこから発生しているかもですねえ^^;
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