先週の金曜日、私が自転車でバッタンと横転したときのことです。連れ合いは私の前をサッサと自転車で行っていたんですよ。
私が倒れて周りの人たちに助けてもらっているときに連れ合いはやっと振り返り、私が倒れたことを知ったのです。私は出血も何も表立ってはなかったので、連れ合いが言った一言。「買い物したものが割れていないか?」でした。
「おいおい、そっちかいな?!」私が怪我をしてはいないかを心配する言葉ではなかったのですわ。
私が若いころ、なにかでたまたま連れ合いが台所で洗い物をしてくれて割ったりした時、お気に入りだったりするとガッカリしますよね。ですが、わざとしたわけではないのですから、「怪我しなかった?形あるものは壊れるのよ。」と言葉をかけるように自分自身を戒めてきました。意識してね。
形あるものは壊れるとは、人間も含まれますよね。
まあね、金曜日の自転車の横転は、私がいつも自転車に乗って止まっている時は足を地面につけるようにしていたのを何故かしていなかったのと、重い荷物でバランスが崩れたのが原因だと思い返すのですが。
私が出血でもしていたら多少は違ったのでしょうが、人はとっさのときに本音がポロッとでるものです。このことに類似したことは以前にもありましたから、そんなにショックを受けたわけではないのです。それよりも私は自分の迂闊さに驚いていたほうが大きかったですね。
連れ合いは世話をしてもらうのに慣れている末っ子、私は世話をしてもらうことのない一番上の娘ですので身についた育った過程の違いかなと。
年齢は私のほうが8歳下ですが、8歳上かしらと思うことのほうが多いのです。
形あるものは壊れる、自分もその宿命から逃れることは出来ない存在だと認識しながら日々を過ごしていかなければと思い知らされた自転車の横転だったということです。
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