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東京は販売員時代を思い出させます

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 前から娘からの「お誘い」でした。最初は「丸の内」でランチと言っていた娘。「丸の内」の通りはきれいに様変わりしていますねえ。というほど都内に頻繁に行っていたわけではないのですが。たまに皇居のまわりを散策するする程度、もしくは靖国神社に詣でて、その帰りに手頃なランチを探して食べて帰るくらいの「小さな旅」のお楽しみでした。

 TOKYOの象徴的な皇居や、丸の内にいる私が今でも「私はどうしてここにいるの?」とふっと思うことがあります。中学生の修学旅行で来た東京の意識がまだかすかに残っているのでしょうね。

 「有楽町」もフランク永井氏の「有楽町で逢いましょう」の歌で知るだけの街だったんです。アパレル販売の仕事で「有楽町」にはよく行きましたわ。仕事のときは気持ちに余裕がなかったなあと思い返します。3日間の勝負のような感覚、にこやかにお客様とお話しながら商品を買っていただくことが至上命令でしたので。「国際フォーラム」の会場でインポートアパレルの販売を何度もしましたねえ。東京のあちこちを歩くと、ここでも働いていたんだわねえと思うことしきり。

 まあ仕事の話はさておきまして。有楽町、銀座は新宿が苦手な私でもブラブラとまさに「ウインドウショッピング」を楽しめる街です。

 娘と私は足が共に大きくて、「大きいサイズ」のある靴店のみ。我が家の男性2人より女性2人のほうが大きいのですわ。気持ちが悪いほどの巨大な足です。関西の友人宅で以前夏でしたので裸足でいたら「まるで手の指みたいに長い指よねえ❢」といたく呆れられましたけど。靴には苦労しました。

 まして立ちっぱなしの仕事でしたから、靴が痛いと辛いことに。つくづく日本の靴の文化がまだまだ浅いことを痛感したものです。下駄や草履の方が長いのだと。デパートで一緒だった販売の先輩女性は若い頃に「ハイヒール」をよくはいていらしたとかで、スゴイ「外反母趾」になられていてぺったんこの柔らかい皮の靴も変形した足の形になっていました。

 連れ合いと同じ年生まれの先輩から(昭和19年生まれ)「新宿はね、バラックが並んでいたのよ。」と私の全く知らない東京の話を聞きましたね。芯の強い女性でしたが、私がその先輩と働きだして2年が経過したころに「今までたくさんの人と働いたけどさ。2日で辞めてもらった人もいるのよ。」と聴いたときは「えっ、そうなんだ。じゃ、私はOKってことだったの?」と驚いたことを思い出します。

 そのアパレルメーカーで長かった先輩なので、営業さんも一目置く存在の女性でした。ですが意地が悪いということのない性格でいらしたので、「今日は私はどうしても売れないから、そういう日があるのよ。だから、今日はあんたに頑張ってもらうしかないわよ。」とサラリとおっしゃることもありました。

 隣のブランド(ライバルになりますね)の店長の女性から「休憩時間が1分超過してるわよ。」と指摘されたことがありました。「えっ、1分?❢」とストップウォッチで測っているの?と思って、先輩女性に「1分遅れた。」と言われたんですけどと訴えたら「遅れたんでしょ?だったら遅れたんじゃない。」とつれなく言われたことは今でも消えない記憶です。1分遅れたか?私はストップウォッチを持っていないので、わからないまま^^;

 女性はネチネチとした女性と、ザクッとした女性いや男性も同じでしょうか。そのザクッとした男性的な先輩とは今も年賀状のやり取りをしています。お子さんがいらっしゃらなくて、ご主人さまが数年前に亡くなられて一人暮らしをしておられるのです。ですから、大きな地震があると「大丈夫でしたか?」と電話をかけます。「ありがとうね。怖かったね。」と相変わらず長話はしません。

 「あんたはでかくて目立つからさ。何かと言われるんだよ。」と言われた先輩の言葉は今も聴こえてくるようです。

 全く知らない関東の地に来て、どれほどの人と出会ったことでしょう。お客様も数えるとすごい数の人と深く浅くお会いしてきました。いろんな個性の人を目にしてきました。デパートの売り場で販売員同士が口喧嘩(お客様がいらっしゃらないときでしたが、その剣幕がまたスゴイのですよ)したり、私が少し動いたら肘鉄をしてきた女性販売員もいましたし(・へ・)

 まさに戦場❢ アパレルメーカーから「あの人は売る!」と思って貰えないと次のご指名が来ないという熾烈な労働現場。私のように以前書きましたが、デパートの社員に意見申し上げるなんぞはとんでもない奴、考えられない奴なんですよ。その点では連れ合いがいて給与をもらっていてくれて生活できていたことに感謝を改めてしないといけませんね。

 連れ合いがリタイアして、旅行にも行きたいからと長期の販売のしごとはしなくなったのです。お休みが取れませんから。お正月も2日間だけのお休みでしたからね。そのおかげで、紳士服も販売しましたし、声がかかればなんにでもTry しました。紳士服の販売の女性は私には怖い人が多かったですね。「最初に声をかけた販売員に権利があるのよ。」」とのたまうのですよ。お客様にも選ぶ権利はあると私は思っていましたが。

 「取った、取られた!」と「年増の女郎でもないだろうに。」と(品のない言葉で申し訳ありませんが、私はそう思っていたのも事実です。口にはもちろんしませんよ。お腹の中で思っていただけのこと(^_-))

 女性のアパレル販売でも全くないことではないのですが、男性がスーツを買いにみえるのはオシャレのためと言うよりも必要に迫られて見える方が大半ですね。。なので強引な販売員さんに押し負けてしまうのだろうと。それと男性は優しいんだなあと紳士服の販売で感じましたわ。女性のほうがオシャレもありますし、シビアですね。紳士服の販売員さんはよく「婦人服なんて面倒でやりたくないわ。」と言ってらしたのが、その表れでしょう。

 そうやって少しづつ鍛えていただいてきたのですねえ。赤ちゃんが言葉を覚えるように胸のなかに口には出さないけれどボキャブラリー(必要のないボキャブラリーかもしれないですが)が蓄積されて、ポンと口から思いがけずに飛び出してくるように、強い思いが醸成されてきたのでしょうか。

 仕事の話はさておきと書きながら、仕事の話になっていましたわねえ。古巣を歩くと、あんな事、こんなことが思い出されて。よく、あの戦場で働けたものだと今のワタシには他人事のようでもあります。

 でもいい経験をさせていただきました😊営業マンの大変さも、販売の人のご苦労もわかるのですから。マンションの掃除の仕事も決して楽だと思ったことはないですけれど、実際に経験してみてわかることがありましたし。事務仕事もね。

 全て、私を形成する材料になって、今のワタシがいるのだと思うのです。

 さて、久しぶりの有楽町は楽しく、ランチも娘の選んでくれたイタリアンを美味しくいただきまして満足😋駅の階段を全て上り下りしていい運動になりまして、娘に感謝です❣

 (写真は銀座和光のウィンドウです。娘はよく知っていて、いろんなのをやってるのよと言っていました。私はまず行かなくなっていたので「そうなの?」という感じでした。斜めから見た時はなんだかわからず、トラですね。ウインクしたり、目だけが動くのです。)

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自己紹介 もうすぐ73歳に 関西から半世紀以上前に関東へ 連れ合いが突然関東への転勤を命じられ 埼玉県や都内に住んで 今は千葉県 子ども二人はは関東育ち 関西弁は当然のこと関東弁は仕事がらですが いまだイントネーションは直りません

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