保険外交の仕事は、毎月のノルマを達成する、もしくは1件は最低線。やはり、きつかったですね。でも、きついからこそ、達成したときの喜びもひとしおでしたが。
ただ、私は猪年生まれじゃないのに、突き進むんですね。気がつくと。
かって私が子供の頃、父が、「人生は長距離戦や。短距離戦やないで。」と言ったのを、時折ふっと思い出し「やっぱり、親はみてたんやな。」と苦笑いしてましたわ。
保険の仕事の間にイタリア旅行に行けましたが、帰路の飛行機(これがまた、アリタリア航空だったのですが、ローマを出発の際メインドアが完全に閉まらず、10数回整備士が来てやり直し。これで出発とアナウンスが流れた時、大きな拍手が!)と、途中でドア大丈夫かな?とよぎりましたが。
無事に千葉の房総半島の上を旋回している時、「ああ現実に戻ってきた!乗客の他の方には申し訳ないけど、このまま、、、」まあ、重圧の日々だったのは間違いないですね。
ところが、圧がかかるのが嫌いかというと、そうでもない厄介な人なんです、私って。
ですが、9年目でしたか、保険に行きつまり退職。
次はと思い巡らし、保険の仕事で着る服を買っていたデパートの婦人服店に交渉して、アパレル販売の仕事へ初めてのチャレンジ。営業マンが面接で商品知識があるからとOKを出してくだすったので。
女性は女性に厳しいですよ!お客様がいらして足を一歩出そうとすると、ピシャと足を叩かれて「早い!」保険とは違い、一匹狼ではない仕事ならではのスタートでした。
どなたかに言われました。「あなたは人が好きなのね。」と。自分でそう思ったことはなかったので、戸惑いました。が、その方の目は見通していらしたのかも。人と接することで得るものは多いですよね。自分を顧みることを教えてもらえますし、楽しいですから。
私は保険の時から、自分の儲けを計算できない、しない人でしたね。後からついてくると思っていました、確かに。
お給料は子供たちを大学に行かせる糧になり、助かりましたが。私達夫婦は共に高卒。私は最高学府(古いですねえ!)に憧れを持ち続けていたので。
自分を卑下したことはなかったんですが、関東に来て一度だけ、新聞の求人欄をたまたま見た時「短大卒以上」の文字が飛び込んできて、悔しく思ったことはありましたね。
そんな悔しさは子供たちに味会わせたくなかったのも事実です。ですが、学歴だけではなく、「勉強したものは、誰にも盗まれない財産」だと子供たちには言っていました。
派遣社員として多くのデパートに行きましたが、主婦でいては経験し得ないことを勉強させていただきました。1度だけ、土下座をしたことも。「半沢直樹」のずっと前ですよ(笑)それはまた後日に、、
忘れもしない、大手デパートの「催事場」で紳士のカシミアコートを販売。お買い上げくださったお客様が私の前をお通りになった時、コートハンガーをお持ちでないのに気づき、お尋ねしたところセーターやらと丸めてビニール袋にぎゅうぎゅうに詰め込まれて、見るも無惨!
私自身、仕事の場で頭に血が上るということはまずないのです。が、その時はお客様に「少々お待ちいただけますか。」とお願いをして、レジにいる方に「コートハンガーをお願いします。」と。その後、「ここにはない。」やらいろいろあり、私が珍しく声を荒げましたわ。「持ってきてください!」と。
何とか、カシミアコートをハンガーケースに収めて、お待たせしたお詫びを申し上げてお帰りになった後です。
入社したばかりのような若い男性社員が「どうせ、セールですから。」とのたもうたのです。
「セールだからって、そんな対応はないでしょ!天下の○○が泣きますよ!」と、口から出てました。私はたかだか派遣社員。そのあと、そのメーカーからの仕事はなくなりましたが。
(私が大好きだったデパートでしたので、内側に入ってみて情けなく思うことは多々ありました。残念に思ったものです。)
催事場の最終日、片づけをしていたら、デパートの女性社員さんが「○○さんは、男前ですね。」とおっしゃいました。笑って流しましたけど、、
万事、これですわ(笑)
でも、私は間違ったことはしていないと確信しています。いまでも。
娘いわく「お母さんは組織には向かないわ。」まさに、そうなんでしょうね。
私がシングルマザーだったら、こんな生き方は出来なかったでしょうから、連れ合いが少々徹夜麻雀で朝帰りがあろうと、きちんと働いてもらってたからと感謝しております!ちなみに、昨日が結婚48年目でした。
いつまで、青くさいんでしょうね。私って。いい歳をして、、
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