それにしても、産んだばかりの乳児だったり、埼玉では92歳のお母さんが亡くなって66歳の男性が若い医師を。。
その前の大阪の医院の放火殺人も身勝手極まりない上に、周到に準備するとは。亡くなられたまだまだ若く、多くの人を助けることが出来たであろう医師の早すぎる残酷な死に。残されたご家族も。
自分が生きる望みを失ったからなど理由にも何もなりません。92歳で亡くなったお母さんがそんなことを望みますか?
寝たきりであったと報じられている92歳の母親を介護していて、それを訪問医療で診てくださっていた若い医師。感謝こそすれ、母親に「永遠の命」があるとでも錯覚していたのでしょうか。
せまい家の中で煮詰まっていく孤独と疲労。今の日本で少ない事例ではないと思いました。殺人事件にまでいかずとも、コロナ禍で病院にも空きがなく必然的に「訪問医療」という形で自宅看護をしておられる家庭は「自助」の域を超えているのではと。
殺人者をかばう気はさらさらありません。
「老老介護」という言葉はだいぶん前から言われてきました。が、一旦家の中で始まってしまうとケアマネジャーだ、なんだと聴こえてはきても、家族の肩にズシッとかかってくるのは間違いないのではないかなと思います。
ひしひしと近づいて来る足音が聴こえて来るようです。我が家にも。
昨夜は連れ合いの「癇癪」が破裂しました!その前に私の耳も拒否反応をしだしました。連れ合いは同じ歌番組を「壊れた蓄音機」のようにかけながらネット麻雀をしていたのです。それも連れ合いの好む演歌ばかりを。
私の耳は「難聴」と言う病名でもエアコンのモーター音などは拾ってしまうのです。ただ聞こえにくいのではない厄介な耳なんです。イヤだと思う音を拾わなくてもいいのに捉えてしまうので、自分でも困ってしまうのですが、制御不能です、できることは「耳栓」をすることくらいでしょうか。
毎晩毎晩その繰り返しで音が流れると、さすがに私はグロッキー状態になってしまいます。たまにポップスがあると歌いますと先日ブログに書きましたけれどね。まず連れ合いの好む演歌が主流なのです。
私の耳も拒否反応をしますが、心配になるのは再放送の洋画を繰り返し見ていることと、壊れた蓄音機のように歌番組を繰り返し流していても反応しない状態にさすがに不安を感じるのです。
今の私にはできないことだというのもあるのですが、大丈夫なのかな?!と。
そんな毎日を繰り返していて、脳に新しい良い刺激を与えられるとは私には思えません。年齢的にも注意しなければならないところへきていますし。
さて、なんとか無事に歩んでいけますようにと、願うばかりです。
「喝❢」と言ってもらいたい義兄たちもそれぞれ自分たちのことで手一杯です。夫婦という他人であったものがやっていくしかないんですよね。
気分転換に午後どこかに行こうと思っています私。
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