当たり前のように日本には西洋の言葉が「単語」として氾濫しています。
私も美味しいものをいただくのは好きですが、日本の家庭料理の素朴なお惣菜も十分に美味しくいただけます。特別高価なものでなくてもね。
昨日は大ぶりのイワシがスーパーであったので、頭とはらわたを取ってもらって生姜や梅干しと煮ていただくつもりです。青魚は痛むのが早いと昔から言われていますので、早くしないといけません。
私のように昔の田舎育ちの人間は「今日はレストランに行きましょう。」なんて経験をしていないので、安くて身体にいいのではという材料を母が買ってきて料理をするのが当たり前の暮らしでした。
それが身に染み付いてはいるのですが、時代の変化と共に母も生前は庶民的な店で昼食をいただくこともありましたね。主婦は「上げ膳据え膳がありがたい。」と思うものです。日々、食事を作るのは経済的にも、栄養も考えて献立を作り調理するのですから、それなりに大変なんですよね。
いまは「ウーバー」だ何だかんだと食事の配達事業がありますから、便利なんでしょうけど。経済的に余裕がないとそう利用は出来ないのではないかと思います。我が家は利用したことはありませんね。
献立を考えるのも、「頭の体操」になるのですから一石二鳥なんですよ。冷蔵庫にあるものを組み合わせてオリジナルを作るのも発見があるものです。
ただ、コロナ禍になって閉塞感に包まれて庶民的な食堂にさえ行けないという脅迫観念みたいなものができてしまい、それは窮屈には感じます。
早くコロナ禍が収束して、気軽に手頃な食事を楽しめるようになると嬉しいですし、基本的な食べることさえままならない方に支援の手を差し伸べてくださるような対策を日頃グルメを堪能しておられる政治家のお偉方にお願いしたいと強く望みます。
格差社会が当たり前では困るんですよ。
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