「恨み」「憎しみ」「怒り」「妬み」いろんな感情を持ち合わせています。
それに「お金」というものが絡むと、報道されている事件にまでいたってしまうのです。「お金」からも「怖い心」を誘発させてしまいます。
昔の人たちは働いてまさに「自らの身を粉にして」との表現のように少しでも豊かな生活をするためのたゆまぬ努力をしてこられました。
今「オレオレ詐欺」のように、人を騙して「お金」を入手しようとあの手この手で企んで毎日報道されない日がないほどですよね。
その地球上では世界中で大規模森林火災、大洪水、地震、と人類を脅かす事態が起きています。シベリヤの永久凍土も溶け始めて眠っていたウイルスが出てくるとの報道も。
人類も目覚ましい活躍で便利な暮らしを享受できるようになったわけですが。
人間の「欲」も際限がないのか、「バベルの塔」の建立を天に達せんとするほどに。このたとえのように、人間はかくも傲慢になりうると古より警告をされていても現代まであまり変わっているとは思えません。
私の帰省したときも、兄弟から出てくる言葉は「恨み」や「身勝手な思い込み」など冷静な判断ができない胸のうちからほとばしるように出て来ていました。
その言葉を聴いていると、誰しも私もそうですが「己を正当化したい」という願望が透けてみえてきます。
「自分は悪くない。親が悪いんだ。あのときにこうだった。あんなことをされた。」と。人間は強くない(強い人もおられるでしょうが)のでどうしても責任転嫁をしたくなるのでしょうね。
先日、私は「積年の垢をふるい落としたい」と書きましたけれど。ワンちゃんがブルブルと身体を震わせるようには、人間の積年の垢は簡単に落ちないでしょうね。困ったことです。
ところが、人間の記憶、思い込みの違いを兄弟間の話でも思い知らされました。いかにずれた記憶に基づいてドンドン自分の頭の中で増殖させているのかとね。
やさしく穏やかな心を常に持つのは、困難なことだと思います。ですが、極力そう有りたいと努めることはしたいものです。巨大な悪には優しく穏やかにはいられないですけれど。
身近な人には、できるだけ穏やかに接していたいものです❣
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