子供の頃に犬がいたと思うのに、記憶が殆どないくらいに動物に関心がなかったんです。当時は外で繋いで飼っていたようにおぼえています。
どうして飼っていたのか?意味も不明のまま、時はすぎて。
連れ合いの家には昔ネズミ退治のために飼っていたという猫が3代いて、3人男兄弟の中で一番猫がくっついていたのが連れ合いだったみたいです。これってなんでかは分からない不思議ですね。
その遺伝子を受け継いだのが、娘でした。今の住まいに暮らすようになってから、外に野良猫がいると連れてきては「お母さん、牛乳をやってもいい?」と何度も玄関の外で牛乳をあげていましたわ。
私は猫を飼おうと思ったこともなくて。娘も「飼えない。」と思っていたようです。
そんな私が保険の仕事をしていた40歳くらいのときに、猫も犬も大好きなスペイン系の顔立ちをした保険のしごとの先輩がいまして。押しの強さは顔にでている女傑でしたわ。怖くはないのですが、性格が竹を割ったような、頼もしい先輩でした。女手ひとつで保険の仕事をしながら子供を育てて、家も建ててとね。
私の属していたチームのリーダーの女性と同年輩だったこともあって、時折話をする程度の関係でした。
ある日、「うちの猫の正子がねえ、4匹産んだからもらってくれないかなあ?」と。誰に言うでもなくといった口調でした。でも聞こえてきたので「うちのは嫌いじゃないんですけど。。」とボソボソと言ったんです、私。
でもその時は「ジャもらって飼いましょう。」という気は全くなくて。なんという優柔不断だった私。
夏の夕方、その先輩が小さい猫をキャリーケースにいれて、猫の缶詰と猫用トイレとトイレの砂も揃えて突然現れまして。「連れてきたわよ!」といつものカラカラと明るい大きな声で見えたんです。
そのときに家にいたのは私と高校生の息子だけでした。息子は連れ合いの遺伝子の猫の部分はなかったようで、さあ、私と息子でその小さかった猫が触れずに家の中は大騒ぎに!
先輩はというと、置くだけおいてサッサと帰ってしまっていましたしね。
今でも覚えているのは、リビングのドアを開けて壁際に止めていたその壁とドアの隙間に入るほどの小ささだったこと!走り回る子猫の足の速さと、オロオロする動物が苦手な私と息子の滑稽な(今思い返すとね)様子は、第三者が見ていたら面白かったことでしょうねえ。
恐る恐るフニャとした子猫の柔らかいお腹の部分が持てるように、というか持たざるを得なくて。そういえば、熊谷の借家に暮らしていた頃に、お隣の同じ借家に住んでいたやはり転勤族の奥様が子猫を飼っていらしたんです。うちにその子猫を連れて来られた時に触れなくて、困ったこともありましたわ。
そうしているうちに、大学の夏山登りのサークルで半月ほどいなかった娘が日焼けして帰宅しました。彼女が驚いたことったらなかったです。「ええ!お母さんが猫を飼うの?!」と、もちろん大喜びでしたよ。
「まさか、お母さんが猫を飼うなんて❣」と信じられない様子の娘。それからは猫を中心にした生活に変わっていきました。
オードリー・ヘプバーンさんの名前の最後の「リー」と名付けて20年。女の子でしたので。カーテンレールの上には登るわ、私が猫を飼うノウハウを全く知らなかったので、壁も革のソファも引っかき傷だらけになって。爪とぎは床置きのを買ってはいましたが。
ペットは飼い主に似るとは聞いたことがありますが、一度羽毛布団の上でおしっこをされまして。あの猫のおしっこの匂いは強烈で、1ヶ月ベランダに干しっぱなしにしても匂いはとれず、不毛布団は捨てましたね。
何かに怒って嫌がらせをしたのではないかと思いましたけどね。あとはソファの隙間に1回おしっこをしていて、気づかずに「なんだか臭いなあ。」とソファを動かしたら床に大きなシミがついていてと、この2回ですかねえ。よほどりーちゃんの腹に据えかねる何かがあったのでしょうねえ。
あとはひたすら可愛くなる一方でした。私と一緒に赤ん坊のように寝ていました。「スースー」と小さな寝息が聞こえて来ると、私も眠りに落ちると言った感じでした。私が寝てしまうと、連れ合いの方に移っていたようで。
夜に連れ合いがいつもの時間より遅くまで起きていると、寝室のドアの前で「ミャア、ミャア」と鳴いて「早く寝ようよ。」と督促していましたね。引き戸の寝室のドアも器用に開けて、サッサとベッドの上で待っていたこともよくありました。
もう家族の一員でした。紛れもなく。
私が60歳にかかった頃に少しづつ弱ってきているのが目に見えてきていました。20年、人間でいえば100歳とか聞きました。トイレに入るのも足が上がらずにヨロヨロと歩く様子に、部屋中に犬用のおしっこシートを引き詰めていましたけれど。猫は死ぬ時は隠れて死ぬんだと連れ合いは言っていましたが、軒下はなくてどこに隠れるのかと心配しながらいたんです。
朝、起きたら玄関のマットの上に倒れて冷たくなっていました。
離れて住んでいた娘に電話しましたら、仕事にいく前に家にきまして、ひとしきり泣いていました。
私もその翌日に仕事が入っていました。いつものように電車に乗って仕事に行き、昼休みにデパートの裏にいくドアを開けた途端に涙が滝のように流れてきました。泣きながら社員食堂で何を食べたのかも覚えていません。テーブルの前に座っていた若い女性には私の涙の意味はもちろんわからなかったでしょう。
今も部屋のあちこちに写真は飾って置いていますが、見るたびに楽しい思い出をありがとうと胸の中でつぶやいています。壁の傷も思い出の名残です。
今娘はNPOから引き取って来た男の兄弟猫を飼って暮らしています。何かと病気にかかるようで、動物病院通いをしながら相変わらずのネコ好きのまま。
猫好きの遺伝子はちゃんと受け継がれているのですが、私がたまに娘んちに行っても男の子はシャイなのか、寄っても来ないので諦めています。少し寂しいですけど、仕方がないです。娘曰く、「毎日ご飯をあげてたら、なつくわよ。」と。まさにそのとおりなんですもの。
でもリーちゃんと暮らした20年で犬にも苦手意識はなくなって、先日の帰省の折、姉妹のところは犬が3匹。ペロペロと顔を舐められて、膝の上に乗って私の指を甘噛みしていました。以前は猫もいたのでしたが、死んでしまったんだと言っていました。常に犬のいる家でしたね。
私の顔をじいと見て、観察している様子に「おいおい、君は私を見透かそうとしているの?」と母犬に話しかけました。動物はよく見抜いていますからね。心が見えているように思います。
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