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「ネパール」から来た女の子

 近くのコンビニに公共料金を支払いに行ったのです。ひらがなの名札をつけた若い女性が対応してくれました。「お支払い金額の確認を〜」という言葉に少し違和感を感じて思わず顔を見てしまいました。少し肌の色が違うかなくらいで気がつかないほどでした。

 「お国はどちらですか?」と尋ねました。「ネパールです。」と返ってきました。「ネパール?」と少し私は戸惑いました。国名は知ってはいますが、エヴェレストなどの登山口のイメージが浮かびました。私はエヴェレストには縁のない人間ですので、テレビで見た登山家と「シェルパ」と呼ばれる登山隊に必要な物資を運ぶネパール人の強靭な体にひたすら感服するだけでした。

 思わず「そんな遠い国から。」と私はマスクの中で呟いていました。距離的には遠くないのかもしれないのですが、私の頭の中では「遠い国」と思ってしまったから。「日本語、上手ですね。」と言ったら「いいえ、まだまだです。」と笑顔でした。

 私は結婚するまえの10代の終わりに家を出て、母の兄家族の住む都会で働きたいと思ったことがありました。母と2人で私からするとおじさんの家に行きましたが、おじさんは「せやなあ。。。」と言葉につまり。おじさん達家族4人の暮らしぶりを目の当たりにして、その絶句の意味を悟りました。

 おじさん家族はその狭さは家賃の節約のためだったようで、その後郊外に家を建てて引っ越ししたと聴きました。私と2つほどしか歳も変わらないいとこの男の子2人は押入れに寝ていました。おじさん達と私と母が布団に横になるといっぱいで、足の踏み場がなくて。私が居候など到底無理なのは明白でしたね。半世紀も前のことです。おじさんも生きていらしたら、私の父95歳くらいでしょうか。

 その時代に、高卒で中小企業に勤めている人は働いて、働いて一戸建てを持つことが夢だったと思います。私の家も狭かったですが、田舎と都会の違いでしょうね。

 おじさん達の息が詰まるほどの狭いアパート。後に私は連れ合いの転勤で関東を転々としましたが、都内のアパートは息が詰まる狭さでした。それでいて、会社の社宅扱いで補助をしてもらっても高い家賃。

 親のもとで家賃を払うことのない生活から、都会で家賃を払って暮らしていけるのかと現実を見たのでした。たかだか日本の同じ地域へさえも、家から出ていけなかった10代の私。

 「ネパール」から来ている女の子はどんな暮らしをしているのでしょうか。日本語を習得してコンビニの仕事も覚えて。異国で働くということの大変さを思うと、「なんてアカンタレの私だったんだろう。」と半世紀前のワタシに言っていました。胸の中で。

 よほどの覚悟がなければ出来ない、泣いたとて帰れない遥かな故郷を後にして日本で働くアジアの若者たち。日本も変わらなければいけない大きな岐路に立っていると思います。

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