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「フェイク」と「真実」の錯綜はいつの時代もあったのかも?

 多様な人間が集まって暮らしているのですから、一人一人の人間だって多面性があり、物事に対してのとらえ方は異なるのです。知識人とか(ある意味不思議な表現ですが、一般的には使われていますよね。)の発言がひとつにまとまるのは逆に怖いです。

 「ニセ情報」なのか「本当の情報」なのか、私程度の頭では見分けはつかないことが多いと思います。先日、地球温暖化の危機を訴えているスウェーデンのグレたさんのことを書いた時、知人から「あの認識はどうかなあ?一度ネットで検索してみたら?」と言われました。

 確かに私が見たのはTVの報道だけでした。テレビがいいの、悪いのと言い出したら、新聞もしかり。言い、悪いではなく主張が違うのはわかります。毎日読む新聞を疑いなく読み続ければ、だんだん「物の見方」「考え方」が影響を受けないとは言えません。

 今のロシアでは完全にネット世代でない人が国営放送の報道を信じているとのことですよね。その国営放送の女性が「戦争反対」のプラカードをカメラに向けて行動したのは相当な決断だったでしょう!ロシアの多くのジャーナリストが殺されている現実がある中で。

 それほど、その国家がまず正常かどうか自体から検証しないと「何が真実なのか」の判断は難しいのかななどと、考え始めたら少々混乱してしまいますわ。(国家が正常か否かは一番大きな課題ですよねえ。私ごときにわかりますかね?)

 私は「フェイスブック」も「ツイッター」もしていません。したほうがいいのかどうかも、先程書きました「頭が混乱する」ことを加速させるのか、はたまた多くの情報を見ることによって自身の中で取捨選択が出来てくるのか不明なのでしていないのです。

 まず、私にそれほどの必要を感じなかったのが第一でしたけど。

 一般的には多くの情報の整理ができて、自身で判断が出来れば言うことはないのですが。

 思い込みや、それまでの私などは聞きかじりの知識や経験から得たものの蓄積の上で判断していますので、どんなものですかね。

 日々を生きているものとして、新聞を読んで食べて眠ってと過ぎていく上でこれは私たちにとって大切なこと、日本人としてこんな事故や事件があっては困るでしょう、生活の基盤が危ないのではといったことには敏感になってしまっているのが現状です。

 肌感で感じるのも本能的に大事なことですよね。生物ですから。

 AIには「肌感」はないでしょうから、今からどうなっていくのか検討もつかない世の中に移行していくのでしょうか?

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