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そして、愛すべき人間がいなくなった「カネ、金」の時代

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 「金が全て」という世の中になったように思うのですが、思いすぎでしょうか?

もちろん、私もお金は欲しい。でも、ささやかな楽しみを持てるほどのお金、それと自由。

アメリカの大富豪と呼ばれる人が所得税のかからない州に自宅を移したというニュースを見ました。

合法的な節税なのでしょうが、日本でもよく税務署が未納者の家の中を探しまわる様子をみますが。持つ人の心理なのでしょうかね。持たざるものにはわかりようがない話です。

最近耳にした40歳の若い実業家というのですか、ラウンジとかに集まっては10万円を見せつけて、テキーラ1本の一気飲みを若い女の子に強いる、あげくに20歳の女性が亡くなったという報道には嘆かわしくも、酷すぎます。それが遊びですか?!なんて恥ずべき行為でしょう。その女性の命を奪ったのですから、罪に問われてしかるべきではないのでしょうか。

羨ましいだろうといわれるでしょうね。でもあまりにも遠い話なので、羨ましいところまでもいかないですね。

20年以上も、もっと前かもしれません。中近東の若い男性がテレビで、「日本はいいですね。マクドナルドにお金持ちも、普通の人も自分で行くんですから。私の国では高級車がマクドナルドの前に横付けして、少しだけ窓を開けて小銭を投げてよこすので、それを拾って品物を買って車まで持っていくんだよ。」と話していたのが忘れられなくて。

最近は中近東にはフィリッピンからのメイドさんが多いようですが、人間扱いせず、賃金も払わないやら、まるで奴隷のごとくの扱いに泣いているという、信じられない報道も目にしました。

中近東の人ばかりが悪いというのではなく、お金を持つと人間はかくも傲慢、かつ狡猾になるのかということだと思います。

愛すべき人間の真逆ですやね。

愛すべき人間は昔にはいたんではないでしょうか?私の願望、妄想ですかね。人を人として認めて、理解しようとする、その心のありよう。

判断基準はお金ではなく、人としてです。その為には、生活がまず成り立っているという前提が必須です。

今、この国で食事がまともにとれないこども達がいて、コロナ禍で失業している人が増えてきている現実があります。先日は大阪のマンションで高齢のお母さんと、42歳の娘さんが餓死していたという報道がスマホニュースに載っていましたし。

愛すべき人間などと言っている場合ではないのでしょうね。何もできずもどかしく思っているだけの、ふがいない私です。

私と連れ合いも残り少ない人生の終末をどう迎えることができるのか?できるならば、よく聞く「ありがとう。」と言って最期を迎えられたら愛すべき人間、愛すべき人生といえるのでしょうね。

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