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保険をかけるってことは、やっぱ必要かしらⅠ

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私はかって生命保険の外交員として働きました。 

始めは連れ合いの転勤に伴って住んだ都内で。都内から今の地に越してくる際に一度退職をして、銀行のパート勤務(これは土曜日まで働いても月に5万円でした)、鉄工所の原価計算事務の仕事は日給月給。大手食品会社のパート事務で初めてコンピューターでの在庫管理、請求書作成を一人ですることになりました。

コンピューターがフリーズしてしまって、決して大げさではなく全身の毛穴から汗が噴き出すような経験をさせてもらったものでした。

本社のコンピュータ―部門に電話をかけて、耳と肩に受話器をはさんで指示通りにキーボードを打ち込んで作動したころには疲れ果てていたのを覚えています。

40年前の大手の会社でも、パートの私一人に任されていたことに72歳の私は「しなければならない」のだと働いていた30歳の私の頑張りをほめてやりたくなりましたわ。

その当時から人間を安く使う会社があり、それに疑問も持たずに時給で働いていた若い私でした。

今も「パート・アルバイト募集」のチラシの時給はそんなに高くはないように思います。

企業にとっては都合の良い雇用形態ですけれど、任される責任の重さは正社員と何も変わらないのです。

春闘もなんら関係なく、年に1時間30円UPがあるだけの仕事を4年続けました。今もその大手の会社は存続しています。

その会社を辞めて、生命保険外交員への道を開いていただいたのがベテラン外交員の女性のお誘いだったのですから。不思議なめぐりあわせの職歴ですね。

そんなこんなの転職人生でしたが唯一「企業年金保険」に加入していたんだとお知らせがきて驚いたのでした。

連れ合いが高卒で入った会社を23年勤めて転職に追いやられ、その後その会社は不幸にも倒産。連れ合いが大事にしまっていた企業年金証書の額面金額は大幅に少なくなったのです。

その連れ合いから「お前の企業年金が不思議なくらいだよな。」と苦笑いされるのですが、私も企業年金保険のことなぞ頭になかったのですから驚いたものでした。

わずかとは言え、振り込んでもらえるのはありがたいと感謝! まだ古き良き時代だったということでしょうか。

「男はつらいよ」の寅さん流に言えば「女もつらいのよ」お兄ちゃん、ですよねえ(*_*; 

お千代さんの「じ・ん・せ・い・いろいろ🎵」と歌いたくなってきました(*^^)v

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