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日本の政治家だけじゃないよと息子は言いましたが。

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 台湾のオードリー・タンさんが「台湾は民主主義を自分たちで勝ち取ったから、選挙に参加するのは祝祭なんです。」と語っていました。選挙の投票率は70%を超えるとか。そうなんですね。民主主義を自ら国民が勝ち取るという歴史があっての暮らしと、アメリカに占領されて民主主義をなんとなく(無知な私の見解なので、間違っているところもあると思います。指摘してくださればありがたいです。)受け入れたのか、ほんとうに民主主義なるものを体得しているのか、私はよくわからないまま今に至っています。

資本主義は根付いているのでしょうが。

 自分たちで勝ち取る民主主義、日本はなんとなく民主主義国家だと思って暮らしているような。確かに「君主制」「貴族制」「神政政治」「独裁制」「専制」「全体主義」ではないです。

日本は間接民主主義の国なんでしょうが、国民一人一人が意識をもって自分たちの代表を選出するという結果が今の日本の現状。にんげんはさまざまですし、いまやあのアメリカでさえ混乱の真っただ中にあるのですから。とても難しいことではあるのでしょうが、収賄等ある種傍若無人な言動、国民に選ばれた先生とよばれる方々のなさることを目に耳にするとき、人間だからしゃあないわではすまないと思っています。

そんな人材しかこの日本にはいないのでしょうか。「地盤、看板、鞄」が三大要素とはっきりと言われています。「政治には金がかかる。」とも公言されています。ずっとそれが当り前にまかり通ってきています。みんな仕方ないと、選挙の投票率も低くなるばかりです。悪循環もいいところです。台湾の祝祭感覚などとは全く無縁の現実がいままでの、今の日本のありようです。

 白い手袋をつけて選挙カーの中から手をふって、うぐいす嬢の立候補者の名前の連呼で選挙だと、投票所にいくことになります。30年も前でしょうか、知人の女性に「なんかお弁当もでるし、いってみない?」と中身も知らずについていったことがありました。集会所で結構集まっていて、結局立候補者の集会でした。私はそそくさと後味悪くでてきましたが、体験としては経験してよかったと思いました。こんなふうに集めて「ただ飯」を食べさせれば投票してもらえると思って金をつかっているんだとわかったからです。

 深く考えずに行く人もいれば、傾倒していていく人もいるのでしょうが、政治のかけらもありませんでした。ただワーワーと出されたお弁当をたべているだけのことでした。こんなことが選挙のたびに行われているのかと、呆れた経験、貴重な経験でした。

 じゃ、どうしたら本当の民意を政治に反映できるのか?私がいま「こうしたらどうですか。」と言える学識もありません。笑ってくださって結構です。「ごまめの歯ぎしり」で終わっている実情です。政治は数の論理だとか。確かに一人でできることはなかなかないでしょうね。とはいえ、ころころと主義主張も関係なく、次の選挙に有利な政党に鞍替えしていく政治家は信用できますか。自分の為でしかないでしょう。要はがっぽりと懐にはいってくるもののためでしかないと私は見ています。

これで日本は、国民は前に進んでいくことが出来るのでしょうか。安心、安全な生活を維持できるのでしょうか。現に、今ひっ迫した状態で政治家は安心感を与えてくれる対策を「先手、先手に」うってくれているのでしょうか。

理想論なんでしょう。ですが、ともあれ今困窮している人がいてどこに救いを求めるのか、国でしょう。行政でしょう。餓死する人など、コロナで死ななくてもいい人を死なせてはいけないはずです。先進国の日本において。政治家の手腕にかかっていると思うのです。

その政治家を選ぶ国民ひとりひとりにかえってくると思っています。

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