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緑濃きふるさとも父が生きているから

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 子供が幼かったころ、帰省しては感じた「時計を忘れるかのような静かな夏」

 お天道様だけはじりじりと田んぼや道路に照りつけていて、時計の針の進み方がゆっくりして、というよりは止まっているかのようでした。

 カンカン照りの道を歩いている人は全く見えず。それが数十年前のことです。最近はポツポツと以前家があったところに「売地」の看板が立っていて、数年後に訪れても「売地」の看板はそのまんま。

 連れ合いの育った家には長男夫婦が住んでいらして、「両隣は空き家や。娘さんたちは嫁いでいるから、帰ってはこんしな。」という兄夫婦も娘さんたちだけ。

 そんな田舎にも昔盛んだった産業に希望を見出だそうと若い人が東京から来て活性化してくだすってるとか。離れていた50年の月日の長さを思い知らされます。

 関東人にはなれないまま、それでいて関西人の血だけは残っていて。

 先日のシニアレディース3人のお茶会で初めて会った「湯上り娘」という名前の枝豆を畑で作っているお姉さんは埼玉出身の方で、「浜名湖から向こうには行ったことがないわ。関西の人は何でも値切るって聞いてるけど。関西の人と話したこともないわね。」と私が初めての関西人だったようでして。

 狭い日本も、まだ広いんやねえ。

 山が連なっていて、緑が濃いなあと帰省のたびに感嘆しているのは関東平野に住んでいるからだとやっと気がついた私。

 故郷の濃い緑も忘れるほどに50年は長かったのか。それにしては一瞬のように私の髪は白くなっていて。浦島太郎の玉手箱を開けたのかしら。

 関西のおばちゃんが全部が全部値切るわけやないんやけどね。上手に安く買ったのを自慢はするけどね。「これ、なんぼや思う?千円せえへんねんで。」と鼻高々に、ね。

 海援隊ほどではないけれど「思えば遠くへ来たもんだ」と♪

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