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「お前も生きていろよ!」と97歳の父からの言葉。

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 昨日、父から電話がありました。遠く離れて暮してきた私がどのように生きてきたかを少し話をしたんです。ついこの前に。知らない土地で保険の外交員として働き、デパートの販売員の仕事でいろんなお客様と一期一会の出会いがありました。

 97歳の父からでた言葉に「えっ!そんな心配したん?!」と絶句するほど驚きましたわ。

 今世間を騒がせている宗教団体?に勧誘されたのではないかというのです。仕事柄多くの人との出会いがあったと話したことから「ひょっとして?!」と思ったと言うのです。

 親とは心配をしてくれるありがたい存在だと思った反面、「親父殿。少しづつ話していてもこの程度では、私という娘がわかりませんか?」という思いも湧いてきました。

 この歳まで生きてくれば、悩みもしました。一人で泣いたことも幾度もありました。デパートの売り場に立っていたときに、突然中年の女性が近寄ってこられて「これを読んでください。」とハードカバーの本を渡されたことがありました。一度だけですが。今話題の団体ではない別のところが出している本でした。

 パラパラと中の文字に目をやって、デパートの裏手のゴミ箱に捨てたことはあります。その時の営業の男性に本の話をしたら、「そんなのは捨てて正解です。」と。その営業マンとはお客様がいらっしゃらないときに政治の話などを少ししたりしていました。彼は私の10歳年下でした。

 地方にご家族を残して営業マンとして頑張っていらしたので、私はつい奥様やご家族の心配をしてしまっていました。「亭主、元気で留守がいい。」の度を越す働きぶりでしたから。一人で子育てをされている奥様のことを心配する私を「おっかない姉」のように見ていたのかもしれないですね。

 ですから、父の心配は「青天の霹靂」でした!

 とはいっても、半世紀離れて暮してきたんです。わからないのも仕方がないですかね。

 私の高校の同級生である友人と話していると、「幼稚園の頃からの友達とお茶のみしたんよ。」と。生まれ育った土地の変化も彼女はつぶさに見ながら暮しています。かたや、私は見ず知らずの土地で仕事をしながら暮してきたのと、休日がままならない仕事のために帰省することも多くはなかったですし。

 今や海外で暮している方も多くなっているのですから、日本国内はなんてことはない時代になっています。かってテレビで森進一氏が「当時の九州から東京は、今の日本とニューヨークくらいの感じでしたよ。」と話しておられました。「うん、うん。そうでしたよね」とうなづいている私がいました。

  父に「そんなことは全くなかったよ。心配しなくて大丈夫やで。」と。「ただ親父殿の年齢までは生きられないと思うけどね。」と言う私に「わしが生きてるうちは元気でいてくれよ。」と言われてしまいまして。

 そうね、親父殿より先に逝くことはないようにしないとね。八百万の神々にお願いしておきます。

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