「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と辞世の句をよんだとか。実在したのでしょうか、天下の大泥棒の石川五右衛門。大泥棒に憧れるものの見せしめに、大釜でゆで殺したというお話から、鉄の大鍋状のお風呂が「五右衛門風呂」です。
若い人は殆んど知らないでしょうね。まして「五右衛門風呂」に入ったことなぞ皆無では?
私が中学生まで行っていた母の生家は離れの朽ち果てそうな天井の下に「五右衛門風呂」がありました。少し離れた井戸からバケツで水を運んでは窓から「五右衛門風呂」に何回も入れました。
それから枯れた小枝や新聞で焚き付けてお水から沸かしていくのでした。「五右衛門風呂」に入る時は丸い「すのこ」がお湯の上に浮いているので、それを足でお湯の下へと沈めていかないと鉄鍋ですもの。やけどをしてしまいます。
その「五右衛門さん」があの膨大な浜辺の砂が無くなっても、世界に盗人はなくならないだろうと言った言葉の通り、AIだ、デジタルだという現代においても大盗人は存在しますよね。小悪党も入れると数え切れないかも?
人のものを盗んででも、人を騙してでもお金を手に入れたいと思うものなんですね。
大企業も検査をごまかして、検査したことにして通してしまえ!とは、どんな邪心から誰が指示してそうなるのでしょうか。きちんと作って、検査もして販売するからには安心して使ってもらえるようにと思わないのはコスト面ですか?仕事がしたくないのか、納期が遅れるからなのか?
その器具なりを購入して使う立場の人のことは全く考えないように、目をつぶってしているのでしょうか。心が痛まないのかと思うのは、私が甘ちゃんだからですかねえ。
「商売は騙しだ。」と連れ合い。いつも極端な表現をする人なので私は「はあ〜?!」と首をかしげていましたけれど。「騙し」にも境界線はあるでしょうに。
カサ増しをして売りつける、中身を変えて売る、いろんな方法を考えるのは人の「欲」がさせるものだと、「石川五右衛門」さんは見抜いていたんですねえ。
「五右衛門風呂」の煮えたぎるお湯は熱かったことでしょう!
現代の大悪党も、小悪党も一度「煮えたぎるお湯」に放り込まれる痛みを思い描いて、、、それでも、無くならないのでしょかねえ。五右衛門氏の残した句の通りに。
人は良い面も、悪い考えも持ち合わせているものだとはいえど。池波正太郎氏の書かれた「鬼平」に再登場してもらいたいものだと切に熱望してしまいます。テレビではなく、この世にね。
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