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「人生にはA面とB面がある」と野口健氏の父

snowy mountain
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 アルピニストの野口健氏の書かれた本を以前読んだことがあって、「やんちゃだったのよね。登山家の植村直己氏の本を読んで登山家になろうと思ったって。」と気になる存在でした。

 植村直己氏も忘れることのない登山家。今検索してみたら1984年に、冬期のマッキンリーに世界で初めて単独登頂して下山中に消息不明とありました。とにかくアメリカの山で消息不明のままだったよねと記憶していました。山男って「そこに山があるから」と言いながら危険で過酷な山に行くのよねと。

 日本人の父とギリシャ系エジプト人の母を「父ちゃん・母ちゃん」と呼んでいて。「徹子の部屋」に出演してらした野口健氏は前から富士山のゴミの多さに発奮してゴミ拾いを始められたのは知っていたのです。いまや環境活動家になってらしたんだと。元旦の地震発生から能登半島にも何度も通って山登り用の寝袋を避難所の方々に渡しておられるとのことでした。

 「山に登ってたまに寝袋だけで野宿した時の寒さは寝られたものじゃないんです。」と。能登の避難所で段ボールの上で毛布にくるまって震えておられる方々を見て、彼は自身の体験を通して寝袋を数千個もっていっているのだと知りました。

 彼の父は外交官だったことも本を通して知っていたのですが「ODAの仕事で世界各地に連れていかれて、必ず父は例えばピラミッドを指さしてあれはA面、すぐ近くのスラム街はB面。世の中はこのB面のほうが問題なんだ。」と繰り返し彼に話したのだそうです。

 彼は笑いながら「いつの間にかそのB面のことを刷り込まれてしまってたんですね。」と。

 寄宿舎のある学校でやんちゃをやらかしては、何度も親が呼び出されていたという話は知っていましたけれど「学校で一発殴られたら、10発殴り返せとエジプト人の母ちゃんは言った」と笑いながら話してましたね。その母ちゃんの浮気も子どもながらにピンと察していたそうで、父ちゃんは全く気付いてなかったんですと。結果離婚された後もその母ちゃんと今も交流はあるようで。

 文化も性格も全く違う両親のもとで彼は多くのことを学んできたんですね。

 人生いろいろあるさと。「山に登ってきて、家に帰るとありがたさが身に沁みて、その家での暮らしが続くとまた山に登りたくなるんですね。まるで病気ですね。」と彼。それはわかる気がしました。山に登らない私でも。

 登山家になられた娘さんの為にも、無事に山から帰ってきて環境活動に精出してくださいね。健さん。

 

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