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「日本」が安全な国であってほしい

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 ウクライナが「対岸の火事」と思えないのです。朝起きたら戦争が始まっていたというウクライナの人たち。明日は我が身にならない保証はどこにもありません。

 既に、日本の国土も他国の人の所有になったり、ジワジワと侵食されていると感じています。

 そんななかでウクライナの惨状には胸がつまってしまうのです。日本の国内もコロナ禍で体も心も痛めつけられています。そして、今日は「東北大震災」から11年目です。まだ完全復興までには至らないようです。避難して故郷から離れて生活を始めた人たちも多くいらっしゃるように報道されていました。

 福島原発の汚染土の処理も受け入れるところもなく、汚染水は海にながすことで漁業者は反対しても届かず。原発事故の長期にわたる事後処理には気が遠くなります。まして、広島と長崎で原子力爆弾の恐ろしさの記憶のある日本です。

 私の娘の義母は広島で原子力爆弾の爆風を辛くも直接受けずにすんだ方なのです。娘の夫は被爆二世になります。お義母さんは97歳で認知には問題はありますが、お体は元気ですので人間の生命力の強さをおもいます。

 ウクライナの原子力発電所への攻撃には、チェルノブイリの記憶がまだ残るのにと恐怖がつのるばかりです。

 ウクライナの幼子の涙や親子の離別の映像はあまりにも辛すぎます。

 「戦争はしてはいけない」のです。

 「自然災害」もあるのですから。人はそんな困難から生き残って生きていかなければならないと心に刻む日でもあります。

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