まさに炎天下に、夏の「きもの」を3点、夏帯2点を旅行用カバンに入れて浅草まで行ってきました。
浅草と銀座はきもの姿をよく見かける街です。きものを粋に着こなしたお姉さんが似合う街ですが、今は若い女性が「きものレンタル」を利用していて、足元は靴だったりと何でもありですけどね。それでもきもの姿を見なくなった現代、古いきものを売っていたりしています。
「えっ、こんな値段で浴衣が買えるの?」という大きな声が聴こえてきていました。そうなんですよね。浴衣も反物を買って縫ってもらったら、それなりのお値段を払うのですから。
夏の風物詩の浴衣なんです。昨日の炎天下に浴衣の女性もいっぱい、「暑いのもなんのその!」とばかりに年代もバラバラに混んでいました。その人の波をすり抜けて「きものリサイクル店」に。
一つ一つに思い入れのあるきものでしたが、この気候温暖化の異常な熱さでは着るのも難儀なんで持ってきたんですが。お店の年配の男性が「これは珍しいものですね。」「これは紗ですけど、目が詰まっていますから6月から着れますねえ。」とおっしゃるのを聞いていました。
きものの世界も昔のものほど品物がいいということですかねえ。
きものを縫っていた母の仕事ぶりを見ながら育って、母もよく着物を着ていました。「はれの日」にはきものでした。私にはきもの姿が違和感なく刻み込まれていたんだとしみじみ思いました。昨日書いた私の友人もやはり「はれの日」には母もきものだったわと言っていましたわ。そのきものをもらって引き出しにいれたままやわとも。
昨日持っていったきものの1つはデパートで働いていたときに、きもの売り場のショーケースにかかっていて「一目惚れ」したきものでした。男性に一目惚れとかしたことはないのですけどね。
母の影響が大だと思います、って書くと母のせいにしているようで空の上から叱られるかな?そうやな、私もきものは好きやったからなと言うかもしれません。
一生懸命自分で着られるように、何度も着直したり納得のいくまで着付けの練習をしたものです。若いときには恥ずかしいような着方をしていたのも写真で残ってはいますが、それでもきものを着ようと頑張っていたのだと振り返って思います。
子供の頃に食べた味と同じように、母のきものは身にしみているのでしょう。そんな思い出のあるきものをリサイクル店に託して置いてきました。
家のタンスの引き出しでいつまでも眠らせておくよりも、どなたかが着てくださればきものも生き返ってくれるでしょうし。
呉服屋さんも、反物を織ってらっしゃる方たちもこんなご時世では大変な思いをされていることでしょう。
日本の文化なのですから、頑張っていただきたいと願うしかありません。秋風が吹いてきて、コロナウイルスの猛威が衰えてきたら、きものを練習し直してきもの姿で出かけたいと思っています。
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