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今の日本で若い女性の受難「生理難民」

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 若い女性が生理用ナプキンを購入する金がなくて困っているとの話が新聞紙上に掲載されていました。又その困っている若い女性たちに生理用ナプキンを提供している団体も若い女性が運営しておられるようでした。日本の生理用ナプキンの優秀さはすばらしいものがありますが、かたやその廃棄される量も半端なものではないと訴えて、洗って使える布にしましょうとの文章を書かれた若い女子学生さんの訴えも拝見しました。それを書いた女子学生さんはインド人の女子学生さんとの親交でインドでの生理用ナプキンの普及率の低さに驚いて、緊急性を感じられたと書いておられました。若い方が活発に論じて、活動されることには触発されましたし、未来に光を見出しました。

 いやはや、女性は次世代の生命を生み出すための体の負担のなんと重いことかと、今は縁のなくなった女としても大変な問題なんだと認識を新たにさせられました。

 常常、発端は相撲の土俵に女があがるのが不浄だと騒ぎになったことから、「女はどうして不浄なのか?」と思っていましたので。生理の血が不浄だと(諸説あるようですし、長い歴史と宗教のからみもと、私ごときが軽々に書けることではないのですが)いうのが納得できないと思っていました。それは生命の誕生に必要な卵子、男性は精子ですよね。鮭が生まれた川に遡上してきたのを人間は取って卵子に精子をかけて孵化させて戻すという、人間の食料としての鮭の生殖活動には熱心に働いているのにですよ。もともとの人間の次世代の生命のための女性の生理は大切なものです。その女性の体の健康維持を助けるためにも生理用ナプキンを使えるようにする、もしくは洗って使えるものがゴミ対策のエコロジーとして有効かつ快適に経済的にもよいというのならその方向に考えて行くと、この少子化問題が声高に言われている中急いでしないといけない大きな課題です。

 どうして女性が不浄で土俵に上がることがいけないのかが、私の中ではですよ、理解不能でした!まだ生理が始まったばかりの子供だった頃は「恥ずかしいことで、知られたくない。」とばかりにこそこそと生理用ナプキンを隠しながらお手洗いに行くという状態でした。そういう年頃だったので仕方ないといえますよね。それなりに成長して閉経に至るまで何十年も月に一度の生物としての当たり前のことを女性は個人差があって(痛みが強い人や、生理不順な人など)対処しながら生活をしていくわけです。そうして次世代の生命誕生につなげていくのです。ならばいたわりこそあれ、まして妊婦さんへのひどい対応などとんでもないことだと思っています。

 男性も女性も全て女性の出産という命がけの大ごとからこの世に誕生してきています。すごくシンプルな周知の事実なのに、なんだかすみっこに追いやられてしまっている感があります。少子化対策は今必至なのですが、世の中は掛け声とは逆の方向に向かっているようにさえ見えます。なんか幹事長が「こどもは大事ですからね。子供庁を〜」とボソボソと思いつきのように(失礼のほど承知しておりますm(__)m)言われたようですが。

 女性は決して不浄ではないと私は思っています!若い女性の方々、くれぐれもお体を大切に健康に過ごされますようにと、願っています。

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