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明治・大正の女性の真の強さを想う

rocks on body of water
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父方の祖母は、私が2歳のときに家で子宮がんで亡くなっています。母が介護していたと聞きました。

私は2歳。セピア色の写真でしか見ることが出来ない祖母なのです。寝床で伏せている祖母はどんな思いで2歳の私を見ていたことでしょう。

10人も子供を生みながら、生き残ったのは私の父と伯父の二人だけ。女の子も産んでいるのですが、みんな病気でしょうね。幼くして亡くなっているのです。

お墓に刻まれた「童子・童女」の数の多さ。祖母はどれほど悲しみに打ちひしがれたことかと、墓前で手をあわせているとジワッと涙がでてくるのです。

先日、電話で97歳の父と祖母の話題になったとき、しみじみと「穏やかな人やったなあ。」としばし「間」があきました。その数秒間、父は祖母を思い出していたのだと私にも伝わってきました。

やんちゃな祖父は仕事もするけど、妾宅もあった昔の男には当たり前とされていた時代。「耐える」ことしか祖母は出来なかったのだろうと。私の父を大事に大事に育ててきたのだろうと祖母の胸の内を想うと、還暦を待たずに亡くなったのが残念でならないのです。

せめて、私と話が出来る70歳まで生きていてくれたらと。おばあちゃん。

穏やかで優しい祖母の、芯の強さとこらえていた悲しみの量は私には想像すらできないものでしょう。

おばあちゃん、今もずっと見守ってくれてるんやろ?父のこともみんなのことも。父が学徒出陣の朝の白黒写真は今、私のところに。おばあちゃんの写真はそれだけやから、手をあわすときにおばあちゃんの顔を見てるんやで。

おおきにやで!おばあちゃん。おかげでこうして生きています。やんちゃだったおじいちゃんと、一緒にいますかねえ。やんちゃな祖父やったけど、おばあちゃんのことは好きやったんやと想うで。もうしばらくは見守っていてや。

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