幸せなことが全くなかったとは思いませんが、その国、その時代の為政者によって翻弄されてきたのは平民だったのではないでしょうか。
この海に囲まれた日本でも、争いはありました。戦国時代があり、その前にも源平の合戦あり、何がこうも戦うようにさせていくのかと思う時、米であったり権力欲だったりと今に至るまで変わらないように思います。日本では農民が年貢に苦しみ、天候不順の飢饉に倒れながらも生き繋いできたのがついこの前のように思います。
おおげさでなく、そんなに古い話ではないのだと思います。明治維新から何年ですかね?いつもその話になると「えっ、この前まで母親は着物を着ていたのよね。いつの間にか靴を普通に履いているけど、まだまだ日本の靴の文化は短いのよ。」と改めて驚くのです。
月日は絶え間なく流れてこの歳になった私ですが、「宇宙」のシリーズを最近テレビで見ていたときに子供の頃に宇宙の話をし始めても続かなかったのを思い出していました。「広いなあ!宇宙に果てがあるんやろか?」と。情報も今のようにありませんでしたし。漠然とした話に決着がつくはずもないのに「宇宙」というものを興味深く思っていたものです。
何十年を経てここまで宇宙の研究者が説明してくださるのを見ながら、驚嘆することの連続でしたね。
その1つの星である地球上でなくならない争いや偏見。消滅するとしたら、ただの流れ星になってしまう存在。
ですが、最近植物にもその種を残していくために他の植物を駆逐するという話をなにかでみたんです。生きていくということはそんなに過酷なものなのかと思い知らされもしました。
それだけに、今ここに生命を与えられて存在していることが稀有なことなんだと思うのです。
だからこそ、その生命をお互いに尊重していきたいと願うのですが。
全てが「ありがたい(有り難い)」ことの積み重ねの上に存在しているのですから。
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