私の住む町でも交差点にある柱が倒れそうになっていました。多分、スピードを出した車が右折できなくてその柱にぶつかったんだろうと、その交差点ではできるだけ奥のほうで信号を待つ癖がついてしまっています。
駅のホームで線路側には極力立たないようにしているのと同じです。以前地方に暮らしておられる方との話しの中で「駅のホームにいたとき、他の人は電車に乗らないのかと思っていたんです。そしたら、皆さんが乗るので驚きました。」と聞いたことがありましたが。
あえて、人に押されて電車にはねられて死にたくないと思う方が増えたんだと思います。それでも、見ていると車道に足を一歩出した格好で立っている方もたまにはいらして、「絶対に車がこないとの保証はどこにもないですよ。」と言いたくなるのを抑えています。もちろん、歩道に乗り上げて来る車もあるので、どこにいても絶対安心はないのですが。そこまで思うと、外に出ることができなくなるので。
人間がいるところは何が起きてもおかしくないのだと、最近は特に思うことが増えてきました。現役で働いていた頃に電車内で足を投げ出している若い男性がいたら「危ないですよ!」と声をかけたりしていましたが、いつの頃からか、電車の座席の隣にいる人が突然ナイフをだしてきてもおかしくない世の中になってきつつあると感じはじめましたね。
昨日の交通事故も聞いた時に胸が痛くなりました。下校中の小学生の元気な声が聞こえてくると、連れ合いが{おもちゃの兵隊さんたちのお帰りだ。」と。どこが「おもちゃの兵隊さん」なのか、ワタシとは違う感性の持ち主の連れ合いのことですので、でも可愛いと思ってのことだと受け止めてはいます。
そんな小学生の命が一瞬にして奪われるのは起きてはいけないのです。池袋の事故も、どの交通事故も同じです。さっきまで元気に遊んでいた子供たちが、大人も暴走する車に命を奪われるほど理不尽なことはないんですから。
車に乗らなくなって、交差点で前を走り抜ける車を眺めているとスマホを見ながら運転している人や、いろんな人が目につきます。スマホを見ながら運転している車がすぐにも事故を起こしても不思議じゃないなと、怖さを感じますが、本人は事故ってから恐怖を覚えるのでしょうか。
車は便利ですが、凶器にもなりうると自覚をもってもらうにはどうしたらいいのでしょう?なんの手も打ちようが無く、犠牲者がなくならないのでしょうか。
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