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わらび餅

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 田舎の夏の思い出で まず思い出すのは、わらび餅。

家の真ん前に わらび餅売りのおじさんが 引っ張ってきた車を止めるのが

少し早い夕飯が始まろうとする時なのでした。

まだ 幼かった私は そわそわ 腰が浮き出し、祖父が20円を私に渡してくれるのです。

丸いちゃぶ台(サザエさんにもでてきますね)から土間に やっとこ下りて、くぐり戸を抜け 玄関まで たたきを走るように急ぎました。

「おっちゃん、わらび餅!」と20円をさしだすと、薄い木の船型の器に 

まあるい宝石のような わらび餅を 大きめの網状のおたまに 一杯すくい上げ いれてくれます。

そのうえに お砂糖を混ぜたきな粉をふりかけ、つまようじをさして「へい、おおきに!」と。

夕飯は どうしてたのか、全く 覚えていません。

いつも お金をくれるのは 祖父でした。

ああ! 冷たく きれいに丸いわらび餅のおいしかったこと!!

この歳になっても、まだ 忘れない、忘れられない思い出です。

夏の長い日が暮れると、家の前に縁台を置いて 大人たちは涼みながら

たわいのない話に花を咲かせます。

私の楽しみは すぐ隣の駄菓子屋さんで 買った線香花火。

「なんて きれい!!」

胸の中に 今も残る あの 儚い 輝き!

花火職人さんの 夜空に広がる 大きな花火も見事な匠の結晶です。

が、あの 線香花火(あの当時 今のような花火大会は 私の町ではなかったのです)のきらめきは、今でも 脳裏に焼き付いている程 いつまでも見とれたものでした。

最後の 真っ赤な玉が ぽとりと落ちるのが、終わりを知らせて 悲しかったのが よみがえってきます。

私が3歳頃、昭和30年だったでしょうか。

今 振り返り、戦後10年しかたっていなかったんだと、戦争を知らない私は改めて驚きます。

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