人間はそれぞれに違うことはわかっているようで、実際はこれが結構困難なのを時おり実感することが起きるのです。
自分は自分の頭で考えて行動していますから。自分以外の人の頭の中まで透けて見えませんのでね。
私と連れ合いの二人で暮らしていて、考え方は真逆なのを実感することは多いのです。それでも折り合いをつけて真っ向からぶつからないようにジグザグに歩を進めているのでしょうね。普段は。
そして、その均衡がこわれると衝突が●~*
きっかけは生活するうえでの些細なこと。些細だと思うか、いやいや「これは私にとっては必要なんだ。」と思うかにも個人差が出るのです。
連れ合いは何でも捨てる人です。例えばUNIQLOの商品のパッケージの付属品。ただのプラゴミに見えるのでしょう。私は「何か生活の役に立つものに使えないかな?」と思うのです。実際使っているものもありますよ。
その発想の違いはどうにも変えようがありません。
結婚した時から歴然としていたのです。連れ合いの所持品はスーツ1着、コート(あったかな?)下着の入ったボストンバッグ一つ。ビジネスシューズ1足、でおしまい。靴は破れそうになったら、靴屋さんに行って購入して、履いて行った靴は「捨ててください。」で済むのだとのことでしたから。
確かに!今「終活」に難儀をしている私と比べて、なんと身軽なことかと思わないでもありません。
私は結婚した当初、社宅の壁に少しオシャレなものを飾りたいと表彰状の額縁に白いペンキを吹きかけて、雑誌から素敵な写真を切り抜きレイアウト。百円均一のお店などなかった時代のことです。こんなものはあってもなくても生活に支障はないものですけれど。
こう書きながら51年間もよく歩いてきたものだと思うのです。ジグザグ走行と、私が仕事をして外を向いていた年月があったのが大きい要因かなと。
でも、今からが正念場でしょうかねえ。お互いに頑固な頭が加齢によってますます頑固になって、頑固だけならまだしも、伏兵も。
そんな思いにはお構いなしに、一日が始まって刻刻と時を刻み続けているのです。
(昨夜40数年前に同じ銀行でパート勤務だった友人と電話で話していて、彼女は離婚して一人暮らしが40年。昔と変わらない声で「一人が長くて、適当に手抜きして暮らしているから二人は無理ね。」と。そういいながら、和菓子屋さんに週三日働きに行っていて「重いのを持つから少し腰にね。あと洗い物で爪がふやけてガサガサになるのよ。お休みの日にクリームをつけてると治まってるけどさ。」と。12歳のにゃんと暮らしているとか。前のにゃんが亡くなって、やっぱり寂しいと今のにゃんとの生活に。娘さんから「もう、その子でおしまいだからね、お母さん。」と言われてるのよと彼女。)
時は容赦なく、初冬へと私たちを連れていこうとしているのです。抗ってはいるのですよ!無駄なことだとは思わずにね。
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