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腐った「餅代」

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 昔ならそれぞれの家から「ぺったんぺったん」とお餅をつく音が聞こえてきたような、いよいよ師走もあと残りを数えるばかりに。

 連れ合いの家には杵と臼があったらしいですが、お餅やさんから木箱に並んだ丸餅、あんこが入ったあんころ餅、豆餅が届いていました。私が初めて連れ合いの家で大晦日を過ごしたときには。

 お正月には欠かせないお雑煮。関西は「丸餅」の白みそ仕立て。お餅は焼かないので、少しとろみがでたものです。

 地域ごとに違うので、まさに子供のころに覚えた味がそれぞれの人の故郷の味でしょうね。

 大晦日のカウントダウンと、除夜の鐘の音。一晩寝て目覚めた元旦の朝のキリリと肌に刺すような寒さが気のせいでしょうか。関西の地であっても、もう少し冷たかったと記憶しているのですが。

 365日同じように、春夏秋冬が巡りきても「元旦」の空気は清々しいものでした。子供だった私にも。

 その元旦にいただく「お雑煮」や、今の予約販売ではない家で煮た「お煮しめ」や「黒豆」(石油ストーブの上でコトコト煮ていたように思います。なので豆にしわも入っていましたけれど。)は新しい年が始まる日だと思わせてくれた特別なものでした。

 政治家の手に渡るお金が「餅代」夏は「氷代」とはいつの時代からあったのかは知りませんが。

 日本には八百万の神々がおわします。困ったときにお願いする、勝手な私ですけれど。感謝の言葉を胸の中で唱えてもいるのです。神様にお供えするお餅です。政治家にではないのです。

 元をただせば国民の税金であるお金を「餅代」だなどと、勝手に分配するのはいかがなものでしょうか。

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