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「オストメイト」として生きていく

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 人工肛門、確か昨年なくなった渡哲也さんがそうでらしたというくらいの知識しかなかったのですが、つい最近連れ合いの兄がずっと人工肛門をつけていたんだと知ったのです。兄が心配をかけないように黙っていたのです。連れ合いも「まさか?!」と驚き、それくらい認識がなかったということなんですね。たまたまテレビのチャンネルをまわしていたらエマ・大辻・ピックルスさんという女性が画面に。見ていくうちに「オストメイト」といわれる人工肛門をつけて暮らしている女性だとわかりました。連れ合いは「死」という言葉にも「縁起でもないから口にするな!」といっていた人でしたが、彼自身が腎臓がんになって腎臓を一つ切除してもらい肺に遠隔転移しているその現実に直面して以来もう1年半抗がん剤のお世話になっています。その人がお兄さんが人工肛門をつけて生活していると聞いたときの、まして手術のことも何もかもお兄さんは黙って知らせないようにしてらしたのですから、どんなに驚いたことかと私は思いました。もちろん、私も驚きましたよ!連れ合いも彼のお兄さんもすこぶる元気印の人でした。お兄さんは今年80歳ですが、最近長年やっていたテニスをやめたくらいのタフな兄弟でした。病気はわかりませんね。ただふたりともお酒大好き、でもお酒飲んでても病気知らずの方もおられるようですし、こればっかりはなんともですね。

 その身近な人の現実を知ったので、今日の「オストメイト」であるエマさんの映像をみるのは他人事ではない特別の思いを持ってみたのです。人ってそれが、身近にもしくは自分がそんなふうに病気になって初めて思いをはせることができるものなんではないかと改めて思いました。義足だとか目に見える障害とは違い、見た目ではわからないからこそのご苦労があるとの現実も初めて「そうだわ!」と。障害者用トイレの使用も咎められるという事実に。

 いろんな病気があり、たまたま病気になってそうせざるを得ないとの厳しい現実と直面して、「オストメイト」としての生活に打ちのめされそうになりながら生きていく、生活していくということ。なったひとにしかわからないであろう現実を、自分もそうなるかもしれないと少しでも(ならないという保証は皆無です)理解して寄り添える社会になっていってほしいと切実に思いました。私は大腸に関しては他人事ではない思いがありますので、よけいに思うのかもしれませんが。人はいつ病気に、事故にあってどうなるのか予測はできないのですから。

 明日も元気で生きていけることは、みんなが願うことですし、そう有りたいですが、老いも若きも病気はするかも、事故は避けたいものだけれどおきるかもと自分だけは大丈夫なんだという根拠のない自信はときとして「傲慢」にもつながりかねません。謙虚に病に障害に向き合うきもちはもっていたいものだと痛感します。無事に一日を暮らせたことに感謝を!!ひとを思いやれるやさしい心を持っていきたいものだと、ビバ人生!!(=^・^=)

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