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今ヘナで白髪染めしながら^^;胸の奥に閉まっていたことを告白します。

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 なかなか胸の奥にしまい込んでいたものは「書くか?書くまいか?」と逡巡していて。。。ドロドロのヘナをつけてから1時間はこのままなのです。この後洗い流すと、少し緑がかっていますが、すぐ緑色はわからなくなります。手が男性並みに大きいのですが、遠近法でなお大きく見えますわ!

 昨日の娘からの「母の日」の花束は嬉しいことでした。少し久しぶりだったので、花束以外にはレストランでの食事に招いてくれたりと楽しい場をもてるように気を使ってもらっていますので、有り難いといつも感謝しています。今はその食事会ができないですからね。

 私が胸の奥にしまい込んでいたこと、それは私の母のことです。私は20歳でお見合い結婚をして家をでているのですが、結婚してから「母の日」に私の母に「花束」を送ったときです。「花は枯れるからいらん!」という言葉が実の母の口から!さすがに驚きましたよ。半世紀そんな母との確執をひきずってきましたねえ。何かと「お金と嫁の悪口」でしたから、私がいっしょに嫁の悪口は言わないので最後は私に腹をたてるような母でしたね。母のいとこのおばちゃんとの電話での会話は元気を貰えるものでしたので、「悩んでいます」で書いたように、母より話しやすかった明るいおばちゃんでした。

 私が育った家庭環境は裕福ではないですが、食べることにも事欠く状態でもなかったのですが。母は暗に「お金のほうがいい。」という感じでしたね。母は洋裁、和裁ともプロでしたが昔のことでしたから(内職)という形で収入を得ていたんです。昭和4年生まれでしたから、戦中、戦後は経験してはいますが、田舎だったせいかひもじい思いをしたとは聞いたことはありません。

 何かと、母とは相性が合わないという空気感のなかで育ちましたが、結婚してからの「花は枯れるからいらん。」には決定打的な印象を受けました。いじめられたという記憶はないですが、微妙な空気が流れているというなかで、家を出たい思いはありました。結婚が家を出るキッカケになった部分は多いですね。

 今、娘とポンポン言い合えるのは私が自分の母親と出来なかったことですので、娘から辛口で批判されてもその親子関係が嬉しく思えるのです。昨日娘は「お母さんはお喋りだから、電話でも一人でしゃべってるもんね。良くそんなにしゃべることがあるわと感心するわ!」私の反論は「関西のおばちゃんやからや。ようしゃべるでえ!」と。

 母には母の人生観が当然あって「お金が大事!」が少し心の多くの部分を占領してし過ぎてていたのでしょうか?親子であっても胸の奥底まで知ることはできませんので。

 花は枯れますが、人間も同じこと。「花の命は短くて、、」その精一杯咲いていること、美しい短い時間を楽しむという喜びを与えてもらっているのです。花からは。

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