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春の病院は桜🌸の思い出と共に

Blue sky with sunlight
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 虫の居所の悪かった連れ合いのケンカ腰の言葉に爆発しそうになりながら、入浴を済ませてお布団の中でしばし病院に一緒に行くのか?気分が悪いから映画にでも一人で行くかと考えていました。

 本当は家を飛び出してどこかビジネスホテルにでも泊まろうかとまで思ったのですが。朝、連れ合いが「おでこに血がついていて、お前が殴ったのかと思ったわ。」と痒みでかきむしった為にできた傷を私のせいにしたのですから、私の怒りは伝わっていたようでした。人を殴ったことなど一度もない私なのに。怒りは制御しないとエスカレートするものです。

 「いい年をしてみっともない。腎臓摘出手術から4年半、遠隔転移した小さな肺がんをやっつけるためにお世話になった先生に手紙まで出しておきながら最後の挨拶とお礼の言葉と、手紙の失礼を詫びなければ。」と思い直して出かけたのです。

 珍しく午後の診察だと連れ合い。ですが、その前に血液検査とレントゲン撮影を済ませていないと帰りが遅くなるとお昼前の電車に。

 晴れてはいましたが、空気はまだ冷たくて。油断できない三寒四温に桜もまだ硬いつぼみのままの色のない並木を歩いて。

 まじめな若い医師は、テレビの某局の男性アナウンサーになんとなく似た感じのままあっさりと短い時間で終わりました。連れ合いいわく「いつも俺は早いんだ。」と。私が一緒に行っていたころも同じく早かったのを覚えています。まず「失礼いたしまして。」と診察室に入るなり私は頭を下げました。

 「いや。」と軽く一言が聞こえ、すぐ血液検査の内容の説明に。「ひとつこの項目の数値が。。いや、まあ、いいかな。」と医師の指さされた数値のアルファベットと数字が目に飛び込んできまして。私は頭の隅にインプットしました。帰宅してから調べてみようと。

 ドアを閉めて出る前に私は頭を下げながら、医師の横顔がドアの向こうに消えて4年半の月日の速さを思っていました。

 朝食をカフェオレと少しのバナナで済ませていた私でした。体重が増えてきているので「まあ、いいっか。」ってね。

 薬局に処方箋をもっていったり、「CTを撮って帰ってください。次回そのCTで説明できますから。」と次回もその医師がおられるような話しぶりでしたけれど。当然違う医師になるのです。

私のお腹が空きすぎていたのか、担当医師が退職されることなのか原因はわからずに数十年ぶりに胃が痛くなってきたので驚きました。

 すべてが終わった時、4時近くになっていました。

 病院のある駅の中華やさんでお昼には遅いラーメンをお腹に入れて。

 帰りの電車で連れ合いが「お前さん、先生はどこへいらっしゃるのですか?と聞くかと思ったのに。聴かなかったな。」と言いました。確かに聞きたい気持ちが沸いたのです。一瞬。ですが、その大学病院で血液内科や皮膚科とお世話になっている以上は聞いたとてどうにもならないことですので。まだまだお若い先生のことです。未来に向けての洋々たる船出なのかもしれません。 

 帰宅後、インプットしていたアルファベットと数値を検索すると、基準値を少し超えていることや、最近少し気になる咳をしていることの裏付けのような文言が読み取れました。

 連れ合いには言いませんでしたけれど。意外に気に病む性格なのを知っているのでね。

 私は医者でもなんでもないですし、どんな医師にお会いするのか、CTを見ながらどう話されるのかにもよるでしょうから。

 私は50年の歳月の中で、「妻」という意識をもつよりも意外に早くから少しづつ「連れ合いの母親」のような感覚のほうが強くなってきているのを感じていまして。

 80歳近い連れ合いの母親ねえ。私は100歳くらいになる勘定になりますよね(*_*;

 桜の季節に行くのも4度目です。桜は見事な咲きっぷりと、散る際の花吹雪に包まれていましたっけ。昨日はまだつぼみでしたけど。

 春は別れと、出会いの季節でもあります。いつまでも春は廻りて🌸

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ABOUT ME
audreyh0504
自己紹介 もうすぐ73歳に 関西から半世紀以上前に関東へ 連れ合いが突然関東への転勤を命じられ 埼玉県や都内に住んで 今は千葉県 子ども二人はは関東育ち 関西弁は当然のこと関東弁は仕事がらですが いまだイントネーションは直りません

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