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戦争を知らない子供なんです、私。

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 私は戦後数年経ってこの世に生をうけました。戦争を知らないこどもの一人です。

連れ合いは戦中に生まれて、その時既に連れ合いの父親は中国の地で軍隊に一兵卒として、生まれた3人目の息子の写真を見たか、見ないか知るすべもないまま、亡くなっています。渡された木箱には石ころだけが入ってたそうです。

私の祖父は起業してそこそこの基盤をつくりあげて、妾宅まで(私はおばあちゃんがかわいそうで、許せませんが)持っていたそうです。が、戦争でお金が紙切れになったので、私の父が10歳下の弟の高校の学費を工面しなければならなかったと聞きました。父は学徒出陣で古参兵にスリッパで殴られたりしたと言ってました。頑健な身体ではなかった父でしたが、戦後、就職が決まっていた当時大手の会社に入らず、田舎に祖父が家と土地だけをもっていたので戻ったそうです。その田舎で働いて祖父母と弟を養わねばならないために、俗にいうブルーカラーの仕事にもついたようでした。

私の母は、母の生まれた村の隣村から特攻隊員になった男の子がいたんだという話をしていました。今でいうイケメンだったと母が言っていた口ぶりから、ほのかな恋心に似た思いがあったのかもと思ったものでした。

私は戦争を知りません。でも、75年前に終わった戦争の影は垣間見ることができるのです。

だからなのか、突然三島由紀夫氏が生きてらしたら、今95歳の父と全く同い年だと気づいたのです!三島由紀夫氏の生年月日を見たら、1月、父は同年3月です。あの三島由紀夫氏の自刃から半世紀が経ちましたが、私は何か重いものを引きずっているような感じがしてならなかったのです。

AIだ、ロボットだ、デジタルだと世の中は変わってはきていますが、人の心はそんなに変わるものではないのではと思っています。紀元前のエジプトのピラミッド建設にかかわっていた当時の人の日記が出てきたというニュースでも、今の人と思いはさして変わらないように思いましたし。ローマ帝国、中世、革命あり戦争もあり、日本国内も時代の変遷はあろうとも人の悩みも思うことも大きな違いは感じません。

私の年代の人間がいなくなれば、75年前に終わった戦争の記憶は全くと言っていいほどなくなるのではないでしょうか。それは悪いことではありません。ただ平和が当たりまえではない国が存在していることは覚えておかないとでしょうね。

今、歌謡浪曲が流行っています。リバイバルというのでしょうか。赤穂浪士の討ち入りも江戸時代から庶民の間でやんややんやの喝采を浴びて、今にいたります。三波春夫氏の渾身の努力のおかげで歌謡浪曲になり、「立花左近」などは聞いていて、男の友情(侍の)にほろっとしますもの。

時代の変化と、若い人の感覚に自分自身がついていけないわと思ってしまう年齢になり、季節も冬になりもの想う秋も過ぎたのに、なぜか感慨にふけってしまうのもひとえに歳のせいでしょうか?

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