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57年前の「五輪」の青い空の記憶

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 あの赤と白のユニフォーム姿で行進する日本の選手たちを見たとき、こどもだった私にもなんとも言えない高揚感があったことを思い出します。あの頃は日本で初めての衛星放送で一番に入って来たニュースが「ケネディ大統領暗殺」だったりと衝撃を受けることの多かった時代でもあったように思います。 

 世界のの状況などほとんど知らなかった私はあの頃のブームだった伝記ものの本でケネディ大統領等を読んでいました。今思うとテレビも家庭に入ってきてまだ日の浅い頃、白黒のテレビからカラーテレビにうつるころは新聞のテレビ欄に「カラー」とあったのを覚えています。家のテレビが白黒のときには「カラー」の文字が「わ-、カラーや!」と、可愛らしいものでしたね。

 カラーでみた「東京五輪」の赤と白のユニフォームは「日の丸」の色ですから、誇らしく又くっきりとした配色が目にも鮮やかで真っ青な空の下で「きれいだなあ!」と記憶に残っています。10月の気持ちの良いお天気も後押ししてくれているようでした。運動するのには最適な日本の秋でしたねえ。

 一つ一つの金メダルがどうとかは覚えていませんが、あの開会式の光景は今も消えずに残っているのですから。「五輪」招致がどのように行われたかなどは知るよしもなかったですし、わかりもしない年齢でしたが。戦後20年経つか経たないかの、まさに「日本復興」の世界的な祭典だったと思います。

 それから半世紀と数年を経て、これほどまでにドロドロとしたものだったのかと夢も覚めようというものです。継続は良しなのか、「淀んだ水は腐る」のかどうなんでしょう。権力の元にはお金が集まり、お金は人間を狂わせるもとと相場は決まっています。

 こどもだった私の青空と「日の丸」の赤と白の美しい記憶は汚したくない思い出です。

 もう、こどもではなくなった私だからこそ、余計に堪える汚い「五輪」と「コロナウイルス」によって与えられた「イヤな夏の記憶の遺産」を抱えて人生の晩年を過ごすのは思ってもいなかったことですね。

 日本の晴れ渡った秋の爽やかな青空をうでいっぱいに抱きしめていたいと。そこにはためく「日の丸」とともに!

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