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母より話しやすかった今は亡きおばちゃんのこと

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昨年書きました、母のいとこであるおばちゃんは私に明るく優しく接してくれる人でした。人のことを決して悪く言うことのなかったおばちゃんでした。

若い頃に昭和の初期には、まして田舎では珍しい教師との恋愛を経験して妊娠されたんだと母から聞きました。もちろん周りの人からどんな眼で見られていたかは十分想像できます。でも私が想像する以上の辛い、キツイ体験だったでしょうね。

嫌な言葉ですが、そうした女性を「きずもの」と呼ぶ時代の背景がありましたから。

その後結婚された「おじさん」は全てを承知の上で結婚されたとも聞きました。若かった私はおばちゃんもおじさんも凄いなと思ったものでした。

今の時代とは大きく違った時代でした。おばちゃんの優しさは天性のものと、針のむしろにいるような体験を経てますます倍加したのではないかと思っていました。

とにかく「いとこ」の娘である私を温かく包んで接してもらいました。関東の地にきても母とは全く違って楽しく電話で話ができました。

40歳まえの私が帰省したときに私のダイヤの指輪を欲しがる母でしたので。その場で外して母にあげた私に後で妹が「お姉ちゃん、なんであげるん?」と呆れていたものでした。「あんなに欲しそうにいわれたら、しゃあないやん。」と私。保険の外交員として働いていたので、また働いて買えばいいことだと。妹は何を思ったのか、彼女の家でシトリンのゴールドの指輪を「姉ちゃん、これあげる。」と渡してくれましたね。

母はそのおばちゃんの悪口もいっていました。なぜかはわからなかったですが。おばちゃんはエキゾチックな美貌の持ち主でしたね。田舎ではさぞ目立ったことでしょう。外見もさることながら傷ついた心のみが持ち得る温かさが私にはまさに太陽でしたね。

母とはこうですという型はありません。それぞれです。私も含めて。

もうおばちゃんの電話は鳴りっぱなしで、繋がりません。「またいとこ」であるおばちゃんの娘さんとは交流がなく、連絡さえもできず。寂しく悲しい思いは今も引きずっています。最後に聞いた消え入りそうな弱ったおばちゃんの声が耳に残っています。

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