毎日、事故や災害、火事と報道は伝えています。どうして?そんな事故が起きるのか。裏山が家を押しつぶすほどに崩れてくるのか?火事も何が原因なの?とテレビのこちら側でみているのです。
車が怖い。家も怖いとなると出かけるのも、家にいるのもとなってしまいます。「延焼」で何棟とか耳にすると、昔から「地震・雷・火事・親父」と言われ続けてきたことを思い出して。いつの時代も「火」は便利で、かつ怖いものなんだと思い至ります。
「生きている」実感があって生活してはいないのですが。頭の隅には「いつまでも生きてはいけない」こともあるにはあるのです。
最近はいつ「その日」がくるのかをますます考える状況が増えているのも実感します。
車を手放してから、自転車に乗るか、歩いているのですが。赤信号で待っているとき、見通しの良い歩道で目の前を轟音を立ててトレーラーが走り去る恐怖感。建築機材を山と積んでいるのを見ると、あの機材の固定の仕方は大丈夫なんだろうかと、思うのです。
やたら、建築現場でクレーンが倒れたりする報道を目にすることが増えてきたように感じている昨今。人材不足なのか、経験の浅い人への配慮をする余裕がないのか。誰にでも最初はあるのです。始めから熟練することなんてないのですから。それにしても、以前こんなに事故があったのか、知らなかっただけなのかわかりませんけれど。
マンション建築中の前の歩道はできるだけ歩かないようにしたりはするのです。見上げる巨大なクレーンは恐怖の対象です。
「生きている」のがあたり前ではないと思えるのは歳を重ねたから?若い親御さんと幼いお子さんを載せた車が事故にあったと聞くと、「ああ、未知なる未来が待っていたのに。」と悔しくて、悲しくて。
私も生命保険の外交員をしてきたこともあり、損害保険の資格も持ってはいます。使うことなく保険の職場を去りましたが。損害保険を使う確率よりも、生命保険の確率のほうが高いのは知られていることです。とはいえ、様々な状況が変化してきていますので、どうでしょうか。
今日もこのブログを書くことができただけで、感謝です。まだまだ寒い日が続きますので「火」の管理だけはくれぐれもご用心を! 「火の用心👏」
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