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生産性がないと生きてたらあかんのかと、上野千鶴子氏。

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 私が自分のことを「無為徒食」と書くことがあるので思わず目にとまりました。

 生きている過程で死に至るまで常に生産性があるのはありえないですよね。私は私個人を面白がって書いているだけなので、他人様については何も申し上げようと思っていません。

 「おむつをしたからって、いいじゃない。」と上野千鶴子女史の関西弁のはっきりした口調が文面からも伝わってきましたわ。

 確かに生産性だけをとりあげて人間をどうのこうのと言えませんわ。私が昔の東京駅で見たホームレス初心者の男性のことは以前書いたことがあります。私はそのホームレスの男性の生きてこられた姿勢をその仕草から垣間みた気がしました。几帳面なホームレスになられたばかりの様子やこざっぱりした服装やきれいなボストンバッグに、今からどんなふうになられるのだろうと気がかりで大阪へ行く高速バスがきても心は残る感じになりましたので。

 生産性だけでその人を図るのは、歳老いた人ばかりではないんです。ホームレスの方もホームレスになるようにこの世に生を受けてこられたはずはないのですから。どんな事情があるのかは、それぞれでしょうけれど。

 赤ちゃんの時はおむつをして周りの人に世話をしてもらって育っていくわけです。人間だけが成長にかかる時間が長いのだと、生まれたばかりの馬の赤ちゃんはみるみるうちに自分の足で立ち上がりますもの。自然界の弱肉強食の世界で生き抜くには人間のように時間をかけていられないんですよね。

 これは人間の進化の過程で集団に守られる仕組みを人間みずからが作り上げた結果の賜物。赤ちゃんは見守らて育つことができるのだと最近知ったことです。当たり前のように赤ちゃんを抱っこ紐で守って歩いている若いお母さんやお父さんをみて思っていることも長い進化の途上の産物なんですね。

 「歳老いて赤ん坊に戻る」とはよく言ったものですが、赤ん坊は小さくて可愛いので同じとはいかないのも事実だとは思いますが。こう言うと可愛い、可愛くないの問題ではなく人間の生きるうえで避けられない「生老病死」故に、人間の宿命であるし、最後まで生ききるのを見守るのは至極当然のことだとお叱りを受けますよねえ

 私個人としてはやはり下の世話をかけるのは忍びないというのが今の気持ちです。といいながらどうなっていくかは神のみぞ知る範疇なのだと思いながら。

 なるべくそうならないで生きていけたらと望んではいます。上野千鶴子氏もまだまだお元気なので、そうやって高齢者を応援していただけるのはありがたいことです。

 ただお世話してくださる方が人口的にも適職という面においても少なくなっていくのではという懸念がないわけでもないのも現実。

 この問題はあちらこちらに高齢者用施設の建物ができても、人材募集のチラシが多いのからもわかります。

 上野千鶴子さん、こんな問題点も大いに議論をふっかけてくださいましな。お上の福祉行政の充実にハッパをかける意味において。期待していますよ❣

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