河川があって、生物は生きることができて、文明が栄えたと歴史で学んだのを思い出します。
つい最近、テレビで私の大好きなローマの特集をしていたのを見て慌てて録画しました。
人間が生きていくために必要な水と食べ物、と娯楽&お風呂(テルマエ)をローマの統治者は民衆に与えようと、巨大なコロッセオや野外シアターを建立し、浴場には「男湯&女湯」、火事の対応のために消防隊が24時間体制で過ごせる宿泊施設もあったと説明されていて、ため息が~
地球の成り立ちからすれば、あっという間の2000年でしょうが、出演者も話していらしたとおり、さほどの進歩もしてないのでは❓とのため息が。
現在、西暦2025年。
今朝は昨夜からの大分の大火災の映像に驚愕しました。約半数が空き家との説明がありましたけれど、生活されている方も当然いらして、今年も押し迫った寒さのなかで、胸の内はいかばかりかと。
テレビは傍観者の役割で、画面は変わって東北などの豪雪の光景を映し出していましたけれど。
湾岸戦争の頃から、テレビの画面に映し出される戦闘の様子はまるで花火🎇のように爆撃を放送していて、戦争の悲惨さを夜の闇のなかに隠してしまっていたものでした。
多くの人災や、戦争、災害は遠い世界で起きていることとして、テレビ画面のこちら側で傍観してきたのです。
「熊を殺すな」と秋田県で県外から電話がかかってくるそうです。
「人間を殺すな」と熊には伝えられないと言うのに。
いつまで傍観者の無責任がまかり通るのかと、空恐ろしくなり、自分の身に起こりうる「今そこにある危機」に恐怖を感じる最近の世の中の出来事の連続、に。
空はいつまで青く、白い雲を浮かべてくれるのでしょうか。




